極楽浄土をビジュアルで堪能できる庭園で憩いのひと時を 神奈川県・金沢文庫を歩く

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個人的な蔵書が町の名前や駅名になった

今回行ったのは、三浦半島にある金沢文庫。日本史の教科書にも登場する有名な場所で、当然、私も若い頃から何度も行ったことがあります。でも、よく考えてみれば、「文庫」ですよ。

広辞苑で調べてみると、一般に、図書館が公衆の閲読を目的とするのに対し、文庫は書籍の蒐集を目的とするもの…なのだとか。なんか、私的には「学級文庫」をイメージしてしまいますな。 口の両端に指を突っ込み、横に口を開いた状態で、「がっきゅうぶんこ」って言ってごらん。 …というフレーズを、小学校時代何度口にしたことか。当然、「がっきゅうぶんこ」とは言えず、「○○○」になってしまうのでした。

それはともかく、個人的な蔵書、コレクション、手文庫など、わりとプライベートな意味の言葉が、街の名前や駅名になってしまうなんてすごいですよね。今回はそのあたりの謎の解明も含め、久しぶりに訪れてみることにしたのです。

ウォーキングのスタートは、京急線の「金沢文庫」駅から。

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個人的な蔵書が、特急停車駅の駅名になってしまうなんて、何度考えてもすごいです。私は、貧乏なわりに本は多少持っていると思いますが、間違ってもブックオフや図書カードを使って買った本からなる蔵書によって、「永嶋文庫」という駅はできないでしょうね。

極楽浄土をイメージできる美しい庭園がある

駅前から長く続く坂道を登っていきます。やがて左手に赤い門が見えてきました。

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これが称名寺の惣門なのですな。称名寺は、鎌倉幕府の執権として有名な北条氏の一族である金沢(かねさわ)北条氏の祖、北条実時が開基した寺院。

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称名寺の仁王門は、さすがに鎌倉時代のものではなく、江戸時代後期に再建されたものだとか。でも、金剛力士像はかなり古いものだぞ、と思ったら1323年に製作されたらしい。鎌倉幕府の滅亡が1333年ですから、その10年前に作られたのですね。金剛力士は、鎌倉幕府の滅亡を見ていたのか~と感慨深く見上げました。

仁王門の横を通ると、見事な庭園が…。

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この庭園の形は、どこかで見たことがあると思ったら、浄土式庭園なのですね。まだ行ったことはないけれど、金沢貞顕が平泉の毛越寺をモデルに作ったらしい。毛越寺の庭園は、何度もテレビで紹介されましたからね。特徴は、境内の真ん中に橋が架かる大きな池がある点でしょうか。浄土式庭園というだけあって、荒々しい部分がなく、いたって穏やかな眺め。いつまでもベンチに腰掛け、浄土の世界をゆっくり堪能しました。

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でも、昭和の中ごろまではこんな美しい庭園ではなかったそうです。昭和47年からの大がかりな調査を経て、昭和56年に整備されたそうな。鎌倉時代末期に描かれた「称名寺絵図並結界記」など、当時の景観を伝える文書があったから再現できたのですね。

非日常の静謐なひとときが堪能できる境内

鮮やかな赤の太鼓橋を渡り、金堂と釈迦堂にお参りします。

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解説板によると、金沢文庫は、1258年に北条実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂がその起源とされているそうですね。金沢北条氏の菩提寺として鎌倉時代を通じて発展し、2代顕時、3代貞顕の代に伽藍や庭園が整備されたとのこと。

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しかし、鎌倉幕府の滅亡とともに金沢の北条氏も滅んで、その後衰退してしまったのですか。解説板を読みつつ、3代金沢貞顕という名前を目にして、なぜか児玉清の顔がフラッシュバックしたのですよ。そういえば、いつかドラマで見たような。…と考え、それはかつてのNHKの大河ドラマ「太平記」だったことを思い出しました。

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確か、真田広之が足利尊氏、武田鉄矢が楠木正成、片岡鶴太郎が北条高時という配役だった記憶があります。私の好きな楠木正成が武田鉄矢というのは若干異論があったのですが、主役が足利尊氏ですからね。

金沢貞顕の児玉清がなぜ、これほど覚えているかというと、北条高時役の片岡鶴太郎の怪演との対比といいますか。北条高時があまりの変人として描かれているため、そのあとを継いで執権になった金沢貞顕がすごく良識のある素晴らしい人物に見えてくるのです。

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金沢貞顕は、金沢文庫の蔵書の充実に力を尽くしたらしい。読書家として有名な児玉清が演じたのはまさにぴったりの配役なのだと思いました。それにしても、昔の大河ドラマは、日本史の勉強にもなりましたけど、最近の大河は突っ込みを入れたくなるシーンが多すぎて…。

称名寺の境内には、北条顕時と息子の金沢貞顕の墓がありました。児玉清さんを思い出しながら合掌。

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ちなみに金堂は、江戸時代はじめ頃、釈迦堂は江戸時代後期に建立されたそうな。広々とした池に赤い太鼓橋、古色蒼然とした建築物も素晴らしいですね。

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鎌倉武士の質素なお墓と極上の風景

称名寺の浄土式庭園はなぜこんなに美しいのか。称名寺の景観を卓抜したものにしているのは、背景に広がる緑豊かな山々でしょうね。実はこの山は、ハイキングコースになっていて登れるのですよ。今から10年以上前に来たときも登ったことがあり、今回もチャレンジすることにしました。

仁王門を出て、民家の近くの小道へ入り、称名寺市民の森の看板を見ながら山道を登っていきます。称名寺の裏手にまわると、北条実時の墓がありました。

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実時は、金沢北条氏の祖といわれる人物。そのわりに素朴なのは、質素倹約を旨とする鎌倉武士の深い精神性によるものでしょうか。尾根道を歩き、一番高所にあるという八角堂広場へやってきました。

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ここからは、緑豊かな称名寺の境内や八景島、これから向かう海の公園や野島などがよく見えました。

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徳川家康や戦国の名将たちが欲しがった金沢文庫の蔵書

急な階段を下り、再び称名寺の境内にもどって、いよいよ金沢文庫へ。金沢文庫は、ひと言で言えば北条実時が自分の邸宅内に造った武家の文庫。政治や文学、歴史など多岐に渡り、実時の後も顕時・貞顕・貞将の三代にわたって収集は受け継がれて蔵書の充実がはかられたらしい。ところが、その場所が詳しく特定できないみたいなのです。

さきほど述べた称名寺の絵図に、「當寺檀那」と記された金沢顕時と、その子貞顕の墓所左手にトンネルの入り口らしき絵が描かれているとか。そのトンネルとは、これではないかと…。

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トンネルは崩落の危険があるとかで封鎖されていました。金沢北条家の侍がこのトンネルを通って、文庫へ通っていたかと思うとロマンが膨らみますね。トンネルの向こう側には、文庫があったことを思わせる地名も残っていたそうです。

現在、その左に作られた新しいトンネルを抜けると、「神奈川県立金沢文庫」の近代的なビルが建っていました。

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私は昭和初期に作られた重厚な建築物のほうが印象に残っているのです。現在のビルは平成2年に作られたそうなので、そんなに新しいものではないのですが。中に入ると、称名寺の創建当時の仏像や建物内部の絵を再現した展示がありました。仏像というと、黒っぽかったり、金箔がまだらに残っていたりと歴史を感じさせる色合いがイメージされますが、作られた当時はピカピカ光輝いていたのですものね。

もちろん、文庫というくらいですから古文書もたくさん展示してありました。歴史は好きだけど、古文書の文字はまったくわかりませぬ。大学の歴史学科にでも入学していたら絶対挫折したでしょうね。

ところで、金沢文庫の古文書はかなり持ち出されたのだとか。足利学校へ寄贈されたのはいいとして、武田、上杉、徳川家まで貴重な文書を外へ運び出したと解説文にありました。

とくに、家康は江戸城の富士見文庫に多くの資料を移したらしい。運び出された古文書で散逸してしまったのはかなりあるのでしょうね。当時、ブックオフはなかったでしょうから、重要な書籍を多く持つことは文化人としてのステイタスでもあったのではないか、と。

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行った日は、「国宝一遍聖絵展」が開催されていました。一遍上人は、鎌倉時代、時宗は開いた御坊様。南無阿弥陀仏と念仏を唱えることで、誰でも往生を遂げることができると説いたのですな。

「一遍聖絵」は、その一遍上人の生涯を描いた絵巻で、布教や修行のために各地を巡り歩く遊行の姿が描かれています。偉い御坊様の姿を描いた絵は多く見ましたが、一遍は裸のような粗末な恰好だったり、裸足だったりして、これほどみすぼらしく描かれた絵は少ないかも。布教や修業はともかく、あまり恰好を気にすることなく各地を巡り歩くという点では大いに共感を覚えたのでした。

2016年2月17日

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