奈良県葛城市の竹内街道をぶらり散歩。長尾神社~松尾芭蕉・司馬遼太郎ゆかりの綿弓塚まで
日本最古の官道・竹内街道
このコラムでは何度か竹内(たけのうち)街道について書いてきました。河内国(現:大阪府)の”近つ飛鳥”と、大和国(現:奈良県)の”遠つ飛鳥”という「二つの飛鳥」を結ぶ、日本最古の官道です。
飛鳥時代の613年、推古天皇により「難波(なにわ)より京(みやこ)に至る大道(おおじ)を置く」と、竹内街道が敷設されました。正確には、現在の大阪府堺市の大小路から「中之太子」こと羽曳野市の野中寺、「上之太子」こと太子町の叡福寺などを経て、二上山の南側を通る竹内峠を越えて奈良県に入り、奈良県葛城市の長尾まで至る、約26kmの道です。
長尾は竹内街道と長尾街道、そして”遠つ飛鳥”の飛鳥京に繋がる横大路という3つの道が合流する、飛鳥時代は非常に重要な交通の要所でした。では、今回の旅は葛城市の長尾から出発、竹内街道の奈良県側を散策しましょう。
竹内街道(左)、長尾街道(右)、横大路(手前)の3つの道が合流する奈良県葛城市の長尾
大蛇・龍伝説がある長尾神社
まず訪れるのは長尾神社です。近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅から橿原神宮前・吉野方面行きの準急に乗って約40分、磐城駅で下車します(急行あるいは富田林・河内長野方面行きに乗った場合は、古市駅で橿原神宮前・御所方面行きに乗り換え)。
磐城駅から南へ徒歩約5分の所に長尾神社があります。正面には赤くて立派な鳥居があり、また神社に続く参道にも大きな鳥居があって、由緒正しき神社だということがわかります。
長尾神社の鳥居
鳥居をくぐって中に入ってみると(拝観無料)鎮守の森となっており、敷地が広くて鬱蒼としています。
昔、大和国に大蛇あるいは龍が住み、その頭が三輪山の麓にある大神神社(奈良県桜井市)、胴体は龍王宮(奈良県大和高田市)、尻尾が長尾神社になっているという、実に壮大な伝説があるのです。大蛇のことをナガモノと言い、「ナガモノの尾」が長尾の語源とも言われています。
長尾神社の鬱蒼とした鎮守の森
さらに、長尾神社は天照大神と豊受大神を主祭神とするという、実に高貴な神社なのです。天照大神は伊勢神宮の内宮、豊受大神は同・外宮の主祭神なのですから、伊勢神宮と関係が深いのかも知れません。
実際に、長尾神社から遠く真東の方向に伊勢神宮があり、古くから篤い信仰を受けています。
伊勢神宮の真西に鎮座する長尾神社
竹内街道を西へ散歩
では、長尾神社を出て竹内街道を西の方向、即ち大阪の方へブラブラ歩いてみましょう。竹内街道は細い道で、舗装されてますが味気ないアスファルトではなく、石畳風の情緒的な道となっています。
情緒あふれる竹内街道
やがて葛城市當麻スポーツセンターが見えてきました。ここには「緑の一里塚」が建っています。
「緑の一里塚」とは、「竹内街道・横大路(大道)活性化プロジェクト」によって設置された記念碑です。これは奈良県側だけでなく、大阪府側にも建てられています。
葛城市當麻スポーツセンターの「緑の一里塚」
松尾芭蕉ゆかりの綿弓塚
「緑の一里塚」からさらに西へ歩いて行くと、県道30号線にぶつかりました。この道を北へ行けば當麻寺や葛城市相撲館「けはや座」があるのですが、今回はそちらではなく県道を渡り、さらに竹内街道を西へ進みます。
長尾神社を出て約1.5km、やがて左に見えて来たのが綿弓塚(わたゆみづか)です。綿弓塚とは、俳人の松尾芭蕉が江戸時代の1684年、この地に宿泊した際に詠んだ俳句を記念して1809年に建てられました。その代表的な句はこちらです。
『綿弓や 琵琶に慰む 竹の奥』
松尾芭蕉の句碑が残る綿弓塚
綿弓塚にゆかりがあるのは松尾芭蕉だけではありません。作家・司馬遼太郎とも縁が深いのです。
司馬遼太郎の母親の実家が、この近くにありました。その関係で、司馬遼太郎は幼少の頃に竹内街道の近くで遊んでいたと言います。司馬遼太郎は「街道をゆく」で「長尾~竹内間は日本で唯一の国宝に指定されるべき道」と書いています。
綿弓塚は休憩所にもなっており、中には松尾芭蕉や司馬遼太郎の資料も展示されています。入場無料で、小規模ながら無料駐車場もあります。
綿弓塚の内部
帰りは県道30号線を北上して當麻寺や相撲館「けはや座」に寄り、当麻寺駅(準急停車)から帰路に就いてもいいでしょう。また、逆のコースで散策してみるのも楽しいものです。
「今度の休日、旅行はどこに行こう」と考えている方は、松尾芭蕉や司馬遼太郎が愛した歴史情緒あふれる竹内街道をぶらり散歩なんていかがですか?
松尾芭蕉や司馬遼太郎が愛した竹内街道。左の建物が綿弓塚
2017年5月17日