日頃見学できない文化財に出会える東京文化財ウィーク! 東京都港区のお寺や大学を歩く
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歴史好き、古い建物好きには必見の催し 東京文化財ウィーク
本日は、東京文化財ウィークに基づいたウォーキングです。
毎年、東京都の教育委員会が、11月3日の文化の日を中心に都内全域の文化財の公開や文化財に関するいろいろな企画事業を実施しているのですよ。つまり、日頃は見学できない文化財の特別公開が行われているのですな。歴史好き、古い建物好きとしては是非、参加せねばならない。
…ということで2年前になりますが、前から見たかった文化財をはしごで見学したのでした。今回はそれをいくつか、ご紹介しようかと。ちなみに今年も、平成27年10月31日(土曜日)から11月8日(日曜日)まで行われるみたいですよ。
将軍家重公直筆の絵画がある妙定院
まず向かったのは、地下鉄大江戸線:赤羽橋駅徒歩1分のところにある妙定院。
解説板によれば、妙定院は増上寺の別院として、徳川九代将軍家重公の菩提のため1763年に開創されたらしい。その後、東京大空襲で本堂をはじめとするほとんど全ての伽藍を失ったものの、幸いにも徳川家ゆかりの幾多の什宝物が保管された土蔵のみが残ったそうです。
行った日は、「定月大僧正と徳川家重公」というテーマの企画展が開催されていました。個人的には、特別に公開されていた将軍家重公直筆の「松島日之出図」が興味深かったですね。
九代将軍の家重は、大河ドラマ「八代将軍吉宗」で、中村梅雀が演じたのが記憶に残っています。生来虚弱の上、言語不明瞭で脳性麻痺とも推測されているらしく、ドラマでもそのように描かれていました。
ところが実際絵をみると、しっかりとしたタッチで、健常者だったのではないかと思えるのです。将軍の絵が見られるのは、今の時代に生きているからで、何だか得した気分。
ほかにも、浄土宗の宗宝である「法然上人絵詞」、土蔵造りで国の登録有形文化財の「浄土蔵」も見ることができました。このお寺の前は何度か通ったことがありますが、こんなお宝があったとは気づきませんでしたね。
オシャレな大学は魅力的な古い建物もいっぱい
次に向かったのは、港区白金台にある明治学院大学。ヘボン式ローマ字を考案したことで知られるヘボン博士が創始し、島崎藤村が学んだことでも有名な大学ですね。
品川方面から大学のある白金台へ向かって歩きます。途中にあるのが桂坂。
両側に石垣が聳え、「東京屈指の名坂」と言われているらしい。城好きには城跡を歩いているような錯覚も覚えました。
桜田通りに出ると、チャペルや当時の洋館の威容を眺めることができます。しかし、これまでは大学のキャンパス内の施設ということで、内部の見学をあきらめていたのです。長年の夢を実現できたのは、東京文化財ウィークのおかげですね。
訪問した11月3日は、大学の学園祭とも重なっていてとても賑やかでした。
写真のインブリ―館は、明治22年頃に建てられたもので、都内でもっとも古い歴史を持つ宣教師館だとか。
外観同様、内部はとてもモダンでした。現在、会議室としても理由されているそうですが、カラフルな現代の椅子やテーブルとも見事にマッチしていましたね~。
キリスト教系の大学だけあって、オシャレな女子大生が多く、とても華やかな雰囲気。汗臭い学校の卒業生としては、ここで勉強したら楽しいかも、と夢のキャンパスライフにあこがれます。でも、自他ともに認めるダサいファッションセンスの私が混ざったら、浮いてしまうのは確実なのでした。
気を取り直し、明治学院の礼拝堂に向かいます。
桜田通りを通ると目に入る建物なので、以前から中を見学したいと思っていました。東京都文化財ウィークの催しが、その夢をかなえてくれたのですね~。
この礼拝堂が建築されたのは大正五年。当初は上から見ると長方形の建物であったらしい。その後の昭和六年、学生数の増加に伴い、拡張工事によって両袖を建て増しして十字架の形になったとのこと。中は荘厳で、入ると背筋がシャキンと伸びる感じがしました。
木製の椅子の背もたれも腰掛ける部分と直角で、伸びた背中にぴったりフィット。行儀の悪い座り方をすると腰を痛めてしまうかも。 学園祭ということで、中では学生さんたちのミニコンサートが開かれていました。
礼拝堂左手のステンドグラスは、黄色い十字架になっているのがわかります。そして後ろを振り向くと、パイプオルガンが…。
このパイプオルガンは最近設置されたらしいですが、古い礼拝堂の雰囲気に溶け込んでいました。宗教にはそれほど興味はあまりせんが、エキゾチックな気分を味わうにはキリスト教の建築物は欠かせませぬ。
そういえば、正門の近くには昔、テニスコートがありましたね。今は芝生広場になっていて、クリスマスにはツリーのデコレーションが行われるみたい。
以前、クリスマスシーズンに立教大学を訪れたことがありますが、イルミネーションが素晴らしかったです。今年のクリスマスは、その時にも負けないくらい盛り上がるのでしょうね。
今も日本人の心を捉えて離さないお寺
文化財ウィークとは関係なかったのですが、せっかく白金台まで来たのだからと近くにある港区高輪の泉岳寺まで足を延ばすことにしました。
泉岳寺といえばご存知、忠臣蔵。12月になったら、今年もどこかのテレビ局で忠臣蔵にちなんだ番組が放送されるのでしょうね。
赤穂浪士が討ち入りに成功した後、本所松坂町の吉良邸からここまで歩いてきて、吉良上野介の首を主君の墓前に供えて報告するシーンはあまりにも有名ですな。泉岳寺の境内には、今も赤穂浪士にちなんだ史跡が残っておりまする。
古式ゆかしい山門は、ここを赤穂浪士がくぐったのかと思ったのですが、天保年間の再建。忠臣蔵の事件のあとに作られたものなのですな。
大石内蔵助の銅像は、大正時代に除幕されたらしい。
ほかにも、赤穂義士記念館や浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、血がかかったと伝えられている梅や石などがありました。
どうしても注目してしまうのが、吉良上野介の首級を主君の墓前に供える前に洗ったと伝えられる「首洗いの井戸」。
境内は整備されて、昔より明るくなった印象ですが、ここだけはヒンヤリした空気が漂っていました。
よく見ると、玉垣にオッペケペー節で有名な川上音二郎の文字が…。かつて大河ドラマで、中村雅俊が演じた新派劇の創始者ですか。彼の墓も、かつては泉岳寺にあったらしいですね。
泉岳寺の代名詞ともなっている浅野内匠頭や大石内蔵助をはじめとする赤穂義士のお墓は、境内の近くの高台にあります。昔と比べるときれいに整備されてとても参拝しやすくなっていますね。 階段をあがると墓地の入り口には立派な門が…。
これは、実際に浅野家の鉄砲州上屋敷の裏門として使われていたもので、明治時代に移築されたらしい。そこをくぐって歩いていくと、右手に、刃傷事件で切腹した浅野内匠頭のお墓。
そして、横にはお殿様に寄り添うように、赤穂義士のお墓がきれいに並んでおりました。
四十七士と呼ばれますが、実際は48の墓碑があるのですか。それは、討入り以前に自害した萱野三平の供養墓があるからとのこと。
忠臣蔵が人気を集めるのは、四十七士がそれぞれ個性ある人たちだからかもしれません。最年長の堀部弥兵衛は享年77歳で、最年少の大石主税は享年16歳。高齢者と高校生が同じチームでプレイをしていたといいますか。
もし、四十七士が全員、筋骨隆々の逞しい武士ばかりなら、これほど多くの人たちの心が揺さぶられなかったのかも、と思いました。
年長者はコーチの役目を果たしていたと思いますが、それでも価値観や世代の違う浪士たちを束ねるのは大変だったはず。大石内蔵助のお墓に屋根がついているのは、家老として偉いだけではなく、お疲れ様の意味がこめられているのかも。
ちなみに、写真の小さいお墓は、四十七士のエースストライカー、堀部安兵衛のお墓です。
切腹という不幸はありましたが、人間の一生なんて歴史的スパンで見たら瞬きをしている時間のようなもの。それを考えると、今も全国から多くの人たちがお参りし、これから何百年も語り継がれてゆくのですから、彼らは幸せなのかもしれませぬ。
取材日2013年11月3日
2015年10月27日