都心で森林浴や山登り、ピクニック気分が味わえる 東京都港区・芝公園、愛宕山周辺を歩く
Index
さまざまな景観が楽しめる芝公園
今回も、東京都港区を歩きます。増上寺とザ・プリンスタワー東京の間に広がる広場にはバラが植えられ、西洋庭園の趣がありました。
前回、書き忘れましたが、芝公園は元々、増上寺の敷地だったとか。第二次世界大戦後、政教分離政策のために増上寺と切り離され、境内の外周部分が都立芝公園になったのですな。
なるへそ、地図で見ると、港区役所前の緑地帯からグルッとドーナツ状に公園が広がっているのですよ。前からおかしな形状だなと思っていのですが、納得できました。
さらに、増上寺の裏手の道をゆくと、今度は弁天池を取り巻く庭は日本庭園になっておりまする。
この庭はかつて、増上寺にあったものでしょうか。西洋庭園と日本庭園のコラボが楽しめて、何だか得した気分。
さらに行くと、昼なお暗い深山幽谷の気分が味わえるもみじ谷。
ベンチに腰かけていると、とても都心にいるとは思えませんね。もみじ滝もあるし…。
しかし、真上を見上げると、木々の梢の隙間から東京タワーが見えました。
ここは、東京タワーの真下に広がる公園なのですな。東京タワーを知らない人はいないと思いますが、その下にこんな別世界が広がっていると知らない人は多いかも。
「鬼平犯科帳」にも登場する愛宕山
芝公園の園内をゆっくり歩き、都道301号へ出てしばらく北上すると、目の前に斬新なフォルムの高層ビルが…。
これは、愛宕グリーンヒルズMORIタワー。愛宕グリーンヒルズフォレストタワーとツインビルになっており、近くの愛宕山の自然、伝統、文化との融合をコンセプトとしているらしい。この特徴的なデザインは、仏教で極楽浄土を象徴するハスの花を模しているそうですね。確かにこの近くは、お寺が多いですな。
ビルの下を通って愛宕山へと向かいます。単なる番地名ではなく、ホントに山があるのですよ。…と言っても標高25.64メートルで、まわりの高層ビルよりもかなり低いですが…。
ちなみに東京23区の最高峰は、新宿区戸山公園にある箱根山の標高44.6メートルだとか。だけどこの山は、確か尾張徳川家の下屋敷の庭園に作られた築山です。いわば人工物。元々あった地形からすれば、こっちのほうが山としては本家本元なのかも。
愛宕山のトンネルは、23区内唯一の「山岳トンネル」だとか。昭和5年竣工というから、80年も前に作られたものなのですな。
「愛宕山」といえば、江戸時代からお花見の名所。広重が題材にしているほか、「鬼平犯科帳」などにもたびたび登場するらしい。
上れば出世できる急階段がある
ここの売りは、なんと言っても、頂上にある愛宕神社へ通じる急角度の86段の石段ですな。
ちゃんと、「出世の石段」というキャッチフレーズまでついています。それは、講談で有名な曲垣平九郎故事に由来するのですよ。
ときは江戸初期。三代将軍家光が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通った。折しも春、愛宕山の山頂には源平の梅が咲き誇っている。
家光は、その梅を目にして、「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命じた。しかし、石段はあまりの急勾配。家臣たちは、みな一様に下を向いてしまったとか。家光は、みるみる機嫌が悪くなる。
そのとき、四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎が石段を馬で駆け上がり、梅の枝を折って家光に献上したのでした。平九郎は「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたらしい。それで、「出世の石段」と呼ばれるようなったんすか。
私もその故事にあやかって、馬より簡単そうな自分の足で登ってみることにしました。実際登ると、見上げたとき以上の急勾配。これでも若い頃は、山形県の山寺の1015段の石段を一気に駆け上がり、観光客から拍手喝采を浴びたのですよ。
しかし、寄る年並みには勝てず…。途中まで駆け上がったものの、3分の2を経過した時点で、普通に階段を上る速度に。それでも昔取った杵柄で、心臓まひを起さずどうにか登りきることができました。
上から見ても、すごい勾配ですな。この急勾配を馬に乗ったまま駆け上がるなんて、ちょっと想像できませぬ。空飛ぶ馬、ディープインパクトでも厳しいかも、と思ったのですが、なんと明治以降3人も、この急階段を馬に乗ったまま往復した猛者がいるらしい。
しかも、一人は昭和の時代だというから驚きです。昭和57年に、スタントマンの渡辺隆馬氏が成功したとか。それは知りませんでしたね~。でも、最近は愛宕トンネルの横にエレベータができて、それほど苦労せずに上れますからご安心を。
愛宕山には新旧の見どころがいっぱい
それはともかく、昔はここから江戸の町が一望できたのですよ。幕末に、愛宕山から撮った写真が今でも残っていますが、大名屋敷や寺院が写っていてあまりの変わりように驚きます。
ちなみにここは、あの桜田門外の変の前に、井伊大老を討った水戸浪士が集結した場所でもあるそうな。山の上には、その石碑がありました。
きれいな水をたたえた池などもあり、おだやかな景色ですが、そんな血生臭い過去もあったなんて、歴史というものに神秘性も感じますね。
もう手遅れかもしれませんが、愛宕神社の社殿に出世を祈願したのは言うまでもありませぬ。
さて、愛宕山には神社のほかにも見所があるのでした。それは、NHKの放送博物館。NHKと言えば渋谷ですが、ここはラジオの本放送が行われた場所。ときは、大正14年の7月だったとか。それで、愛宕山は「放送のふるさと」と呼ばれているのですね~。
そして、ここは昭和31年に世界最初の放送専門のミュージアムとして開館した歴史ある場所。そのわりに知名度はそれほど高くなく、何度か来ているのですが、いつもがら~んと閑古鳥が鳴く雰囲気。
しかし、ここは結構穴場かもしれませぬ。渋谷の放送センターは、見所たっぷりですが、修学旅行や社会科見学でいついっても混んでいる。しかも入館料が必要。ここはすいていて、しかも無料ですよ~。お昼休みは、広いホールでハイビジョン放送を楽しめるし…。
…と思って、また楽しもうと手ぐすね引いて向かったら、なんと工事中でした。2015年2月16日(月)から休館で、オープンは2016年1月30日を予定しているそうです。
それは、残念。また、かつてのテレビ放送の名シーンを見ようと思ったのに。ちなみに前回来たときは、東京オリンピックの映像、ひょっこりひょうたん島など子供のとき見た映像、そしてかつて興奮して見た大河ドラマなどを見ました。どんな形でリニューアルされているのか楽しみにして、また来年行こうか、と。
東京の新名所・虎ノ門ヒルズ
愛宕山を降り、すぐ近くの虎ノ門ヒルズへ向かいます。ここは、2014年6月11日に開業した超高層ビルで、森ビル開発・施設運営を行っているらしい。 アンテナなどを含めた最も高い部分は255.5mで、東京都内で最も高い超高層ビルになるそうな。
ビルの6階から35階はオフィス、37階から46階は住居、47階から52階はホテルになっているとか。都心の一等地の高層マンションには、どんな人が入居しているのでしょうね。
ちなみに、店舗は1階から4階部分とガーデンハウスにありました。階段を上って2階の入り口から入ります。
広いロビーに、ドラえもんにクリソツな人形が…。
これは、トラのもんと言って、22世紀のトウキョーからタイムマシンに乗って来たネコ型ビジネスロボットらしい。地名が虎ノ門だから、トラ型ロボットでいいのではないかと、ツッコミを入れたくなりました。もっとも、トラがロビーに野放しになっているのは支障があるかもしれないと思って歩いて行くと、屋外に広々とした芝生のスペースが…。
八つの言語の文字からなる「白い大仏」?
そこに、巨大なモニュメントが異彩を放っておりまする。一見すると、「白い鎌倉の大仏」のようにも見えまする。
これは、ジャウメ・プレンサという芸術家の作った作品で、「八つの言語の文字が、膝をかかえて座る人間をかたどっている」とのこと。
下から見上げると、漢字やアルファベットをはじめ、色々な文字があるのがわかりますね。解説文にあるように、「文字はそれぞれの文化を映し出すものであり、我々の文化の多様性を表現している」というフレーズは納得できました。
それにしても、この文字人間が虎ノ門ヒルズに向かい合っているのは何か意味深ですな。ビルの中には、国際会議場もあり、グローバルな文化の発信地としての機能を虎ノ門が担おうとしているのかと…。
広い芝生広場でお弁当を食べたり、大の字になって居眠りしたりする人もいて、ピクニック気分が味わえるのもいいですね。
虎ノ門ヒルズから出ると新橋の街の景観も大きく変わっていました。昔は、こんな広い通りがなかったと思ったら、道路を拡張整備中なのですね。
これは、新虎通りと呼ばれ、東京の新しいシンボルストリートになりつつあるらしい。確かに、これから歩道や緑あふれる並木が整備されたら、とても美しい景観になると思いました。
2015年12月3日