真言密教の聖地「高野山」で巡る歴史と美しき自然。ここを外して空海は語れない
世界遺産「高野山」は、宗教界の巨人「空海」が開山した真言密教の最も重要な聖地となっています。1200年間、未だに空海は生き続け、禅定に入っているのです。現在では日本の特別な宗教都市というだけではなく、世界の高野山と言っても過言ではないこの場所を、今回はご紹介します。
Index
南海電鉄からバスで奥の院へ
大阪の新今宮から乗車出来る南海電鉄に乗ること2時間弱で、極楽橋に到着します。極楽橋からケーブルカーに乗り高野山に到着です。330mの標高差を約5分で移動しますが、ここは日本でも有数の急こう配として有名です。
高野山駅に到着するとバスが多数出ていますので、これを利用して中心部へと向かいます。途中の道路はバス専用道路となっており、一般の歩行通過は出来ませんのでご注意ください。
奥の院(弘法大師御霊廟)
奥の院行きのバスに乗り、最終で下車します。観光はここからスタートすると便利です。歩いて奥に進むと「御廟橋」があります。ここでは脱帽し、一礼をするのが礼儀となっています。基本的に神社仏閣では山門や鳥居で脱帽するのが礼儀となっていますので、単なる観光地ではないということを意識してみましょう。
撮影が禁止となっている奥の院で「空海」は今も生き続けているとされ、今日まで毎日食事が運ばれているのです。本堂では時間帯により、僧侶の読経や護摩壇を見ることが出来るかも知れません。
高野山には歴史上の様々な人物の墓が残されており、歩く際には意識して周囲を見てみましょう。
総本山「金剛峯寺」
金剛峯寺は文禄2年(1593年)に豊臣秀吉が亡母のために建立したのが最初とされています。その後、文久33年(1863年)に再建されたのが現在の姿です。
寺の内部はどこも美しい姿を保っています。なお、襖絵等は撮影禁止となっていますので気をつけましょう。
日本最大の庭園が「蟠龍庭」です。白い砂は京都から運ばれ、雲海を表しているとされます。雌雄一対の龍は奥殿を護る意味があります。
新別殿で休憩も可能
新別殿と呼ばれる大広間では、空海の絵や密教の曼陀羅が飾られた場所となっています。こちらはお茶とお菓子のサービスがあります。季節に合わせた鉢植えを観賞しながら、一休みしてみましょう。
根本大塔
金剛峯寺から歩いて10分程の距離に根本大塔があります。高野山のシンボル的存在となっています。真言密教の根本道場として建立されたこちらは、多宝塔としては日本初、内部に四仏が祀られています。朱色の鮮やかさは特に目を引く美しさです。
徳川家霊台
根本大塔から高野山駅方向に進むと1km程で、徳川家霊台に到着します。寛永20年(1643年)に落慶した霊廟は、徳川三代目の将軍であった徳川家光によるものです。徳川家康と秀忠を祀るために二つ存在しており、国の重要文化財となっています。
秀忠の霊屋に使われた部材に寛永10年と書かれており、開始から落慶まで10年をかけ丁寧に作られたことが分かっています。建物の彫刻は細部にまで飾金具が使われ、見事の一言です。
お遍路道
高野山へは、元々七つあった登山口ですが、平安時代からの「古道」が美しい自然の中に整備され、残されています。ここは徳川家霊台から更に高野山駅に戻った女人堂付近にあります。一般道はバス専用道路となっており、ここから歩いて駅まで戻ることは出来ません。
しかしながら、美しい古道は歩くことが出来ます。一部は平安時代から残る古道と重なっており、この道は高野山への最後の難所と言われて来ました。下山はひたすら下るだけですが、その下りもこう配がかなりあります。高野山参拝が決して楽ではないことが良くわかる坂で、現在もお遍路さんに使われているのです。
この道を約40分下山していくと、極楽橋駅に到着することが出来ます。平安時代から残る道を歩き、今もお遍路道として使われている山道を歩くことで、多くの人の思いを感じてみるのも面白い旅ではないのでしょうか。
最後に
大正10年に文化財を一般公開したのが最初である霊宝館は大塔の近くにあり、様々な展示を見ることが出来ますので、時間の許す方は立ち寄ってみましょう。
1200年という長い年月の間、多くの人々が心を寄せ、祈り、そして僧侶たちにより守られ続けてきた真言密教の聖地「高野山」で、日常を離れた一時を過ごしてみてはいかがでしょうか。
公益社団法人和歌山県観光連盟
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2016年3月4日