東京のミニパナマ運河・荒川ロックゲートと埋もれる巨大遺構・旧小松川閘門 東京都江東区を歩く

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

川の上にある東大島駅

今回行ったのは、東京23区の東に位置する江東区。隅田川の東に位置するということから名づけられたように、大小の川がたくさん流れておりまする。しかも、23区で一人あたりの公園面積では、江戸川区に続いて第2位なのだとか。江東区といえば下町で民家が密集しているイメージもあったのですが、意外と水辺や緑が豊かな街なのですね。

…ということで、今回は水辺と緑をテーマにウォーキングをしようと、都営新宿線東大島駅にやってきました。

この駅に来たのは、確か今回が3回目。都営新宿線は地下鉄なのに、ホームからはさわやかな青空が望め、吹く風もどことなく心地よい。…と思ったら、この駅は川の上に橋のような形で作られているのを思い出したのでした。

川の上にホームが広がる東大島駅は外から見ると、こんな感じ。そういえば、ヨーロッパにもこんな橋がありましたね。

CA3A4626

ホームからは、ゆったりと流れる旧中川の水面が望めます。前回来たときは、残暑が厳しく、駅のそばにある公園の木の下で休んだことを思い出しました。都会とは思えないほど広い青空と、どこまでも広がる原っぱがあったと…。

広い原っぱと紙飛行機のコラボが楽しい大島小松川公園

それは、大島小松川公園。久しぶりに訪れると、壮大な景色はそのままでしたが、遠くのほうに見えるマンションが増えたような気がしました。

CA3A4622

フィールドアスレチックの器具もあったりして、この近くに住む子供たちは、思う存分遊ぶことができそうですね。

CA3A4617

遠くのほうで子供たちが遊んでいると思ってよく見たら、おじさんたちが紙飛行機を飛ばしていました。そういえば以前テレビで、紙飛行機を飛ばす中高年のサークルを取材した番組を見た記憶があります。

CA3A4623

遠くへ紙飛行機を飛ばすにはいろいろ頭を使わないといけないし、拾うために結構歩かないといけませんよね。これは、健康には一石二鳥かも。私もやってみたいと思いましたが、うちの近所の狭い路地ではちょっと抵抗がありますな。昔、キャッチボールをして他の家にボールが飛びこんでしまった苦い思い出があり…。やはり、これくらい広くないと続けるには難しいかもしれませぬ。

CA3A4621

遠くに見えるのは東京スカイツリー。スカイツリーめがけて、思いっきり紙飛行機を飛ばしたら気分爽快でしょうね。

江戸時代の船番所の様子を再現する中川船番所資料館

再び、東大島駅に戻り、今度は駅の反対側へ。駅前に広がる大島小松川公園のわんさか広場の丘を越えると、前回来たときはなかった超高層マンションが…。その横にあるのが、中川船番所資料館。

CA3A4634

この場所は江戸時代、旧中川と小名木川、そして行徳へつながる船堀川が交差する水上輸送の要所だったらしい。小名木川を通れば、江戸の中心近くを流れる隅田川まで一直線。幕府は、この要所に船番所を設けて、江戸に入る荷物や人を検査したのですな。

資料館に入り、エレベーターに乗って3階で降りると、当時の船番所の様子を再現した実物大のジオラマがありました。

CA3A4643

扉が開いたとたん、江戸時代へタイムスリップ。フロアが青く塗られ、いきなり川の中へボッチャンと落ちたような錯覚に陥りました。

CA3A4638

中川番所の役人は、かなり高禄の旗本が任命されたらしい。それだけ、この場所が重要だったということでしょうね。でも、普段はほとんど出勤せず、家来が代わりに勤めていたのだとか。仕事しないで、ごっそり給料がもらえるなんて、高級官僚様はいいよな~と僻みつつ、館内をまわります。

展望室からは、おだやかに流れる旧中川が見渡せました。23区内にいることをしばし忘れて見入ってしまいますな。

CA3A4647

2階は、郷土の歴史・文化紹介展示室。昭和の茶の間の風景が再現されています。黒電話にブラウン管式のテレビ、そしてちゃぶ台。

CA3A4651

だっこちゃんブームは、たまに昭和レトロの番組で見ますが、あらためて見るとすごかったのですね。映像では、開店と同時に百貨店の売り場めがけてダッシュする人たちが…。当時は着物の人も多かったから、裾を振り乱して全力疾走するおばさんたちの迫力に圧倒されました。昭和人のパワーのすごさを再認識しましたね。

1階は、江戸和竿を中心に釣具を展示。釣りにはあまり興味がないのですが、釣り竿を作るのに、すごくたくさんの工程と熟練した技術が必要なのがわかりました。

江戸の物流の大動脈・小名木川

資料館を出て、小名木川沿いの遊歩道をそぞろ歩きします。地図と同じく、定規で引いたように一直線に川が伸びているのがわかります。

CA3A4655

実は小名木川は人工河川なのだとか。関ヶ原の戦いの前に、江戸城に入った徳川家康が、塩の確保のため、行徳塩田から江戸湊まで運河を開削させたらしい。それまでは、沖合を大きく迂回して運ぶルートしかなかったそうですね。その工事を任されたのが小名木四郎兵衛で、そこから小名木川と名付けられたのですな。

CA3A4657

その後、塩の運搬だけではなく、成田山の参拝客や近郊の農村で採れた野菜、東北地方の年貢米などがこの川を使って運ばれたらしい。当時の鉄道や高速道路としての役割もあったみたい。

埋もれる巨大遺構・旧小松川閘門

中川大橋を渡り、大島小松川公園の風の広場へ向かって小高い丘を上ります。広場の片隅にあるのが、古代遺跡のような趣の旧小松川閘門。

CA3A4671

閘門とは、ふたつの水門を組み合わせて、水位の異なる川の間で船の行き来を可能にした施設だとか。そう言われると、学校で習ったスエズ運河みたいなものかと思ってしまいます。昭和2年、荒川と旧中川との間に二つ作られ、ここにあるのは旧中川の後扉に当たるものらしい。

CA3A4667

現在は埋もれていますが、当時からこの場所にあったもので、ここを掘り返すとその威容が現れるのですな。是非発掘して、その全体像を見たいものだと思いました。

CA3A4674

解放感いっぱいの絶景が楽しめる荒川の河川敷

旧小松川閘門の近くからは、さきほどいた旧中川と小名木川の合流地点が見渡せます。

CA3A4670

高台の広場から降りると、一級河川・荒川の雄姿を眺めることができます。前回来たときは残暑の厳しい9月でした。河原では、水着で日向ぼっこをしている若者がいたような。川沿いの遊歩道を超ビキニのブーメランパンツ一丁で、ジョギングをしているおじさんもいましたね。

CA3A4676

そういえば前回来たときは、小島よしおの「そんなの関係ねぇ~」がブレイクしていた時期だったのでした。すると、今回は、とにかく明るい安村の「安心してください、穿いてますよ」の恰好をしたおじさんたちが見られるのではないか。

CA3A4677

…と思って、しばし荒川の河川敷に佇んでいたのですが、一人も見かけませんでした。これは冬で寒いからか、はたまた、とにかく明るい安村のギャグは小島よしおのそれよりインパクトがないのか。

雄大な荒川の景色を眼下に沈思黙考した結果、地球温暖化に警笛を鳴らす小島よしおのギャグに比べ、「安心してください、穿いてますよ」のギャグにはメッセージ性が足りないのではないかという推論を導き出したのですよ。

ただ、新聞で、「昨年は不正や偽装の問題が多くの人たちに不安を与えた。『安心してください』のフレーズが流行語大賞にノミネートされたのはその裏返しではないか」という記事も目にしました。こちらもまたそのメッセージ性が大衆に受け入れられたのかも。

東京のミニパナマ運河と言われる荒川ロックゲート

裸芸で一世を風靡するにも、多くの人たちから共感を集めるメッセージ性が必要なのかと思いつつ歩いているうちに、荒川ロックゲートに到着。

CA3A4681

これはさきほど見た、旧小松川閘門の現代版の施設といったらいいでしょうか。荒川と旧中川の水面の高さは、最大3メートル近くもあるのだとか。水面の高さが違う二つの川のあいだを船が通行出来るようにするための「水のエレベーター」なのですね。

CA3A4680

これで、小名木川などを通じて荒川と隅田川がつながり、災害時の物資輸送も可能になったとか。別名・東京のミニパナマ運河と言われるのも納得できました。

CA3A4683

荒川ロックゲートの近くに、ぶんぶん音を立てて回る塔がありました。これは風力発電の施設なのだとか。風の広場というネーミングもなかなか秀逸ですね。

CA3A4686

2016年4月5日

カテゴリー

  • ディズニー夜行バスバスツアー
  • USJ 夜行バスツアー
  • 八戸観光

RSS

follow us in feedly

Copyright © AirTrip Corp. All Rights Reserved.