北海道の道は囚人によって作られた!博物館網走監獄見学
網走といえば、なんとなく「網走刑務所があるところ」というイメージをお持ちの方も多いでしょう。そして、網走に入っていた犯罪者は凶悪犯なイメージ(笑)。ドラマや映画でもそのような設定が多いので私たちのイメージもそのように結びついています。では実際の網走刑務所と囚人たちはどうだったのでしょう。今回は博物館網走監獄で見学できる、意外と知られていない囚人の暮らしとその功績をご紹介します。
博物館網走監獄
博物館網走監獄は、網走刑務所旧建造物を保存公開する野外博物館です。敷地面積は東京ドーム約3.5個分という広さ。この中に、囚人たちの暮らしを紹介する展示が数多くあります。実際には囚人がいるわけではありませんので安心して楽しむことができます(笑)。
写真は「赤レンガ門」と呼ばれる網走刑務所正門。大正13年の建築ですが、昭和58年に再現されたものです。正面左右には部屋があり、片方は看守の受付、もう片方は面会家族の待合室に使われていました。
リアルな脱獄犯も再現
画像:https://www.flickr.com/photos/iizukanao/
写真は登録有形文化財の五翼放射状舎房。明治45年の建築で、昭和60年に移築されたものです。写真だけではわかりませんが、中央見張りを中心に、5本の指を放射状に広げたようになっているため、五翼放射状舎房と呼ばれています。定員3~5人の雑居房と単独の独居房があります。廊下側からは部屋の中は見えますが、部屋の中からは向かい側の中は互いに見えないように作られています。
よく見ると、奥のほうの天井に脱獄犯が!!
囚人の入浴の様子
囚人たちの入浴の様子をリアルに再現したのがこちら。脱衣から着衣まで15分間という限られた時間ではありましたが、彼らにとっては大きな楽しみだったことでしょう。
背中には鮮やかな刺青が…。
お食事タイム
写真は当時のお食事の様子ですが、博物館網走監獄では現在の網走刑務所(別の場所にある)で収容者が食べている食事のメニューを再現した「体験監獄食」が味わえます。実際に以前刑務所の食堂として使っていた「網走刑務所旧二見ケ岡農場食堂棟」でいただけるというレアなもの。意外と美味しく、これが税金で…という物議をかもしそうなお食事です。
過酷な労働
明治の初め、まだ開国したばかりの日本は、欧米の列強諸国と台頭に競えるまでに急いで大きく経済的発展を遂げる必要がありました。それには未開のエゾの開拓が不可欠だったのです。そこで考え出されたのが、囚人たちを労働力として使うことです。
原始林に道を作る作業は民間に頼めばとんでもない予算になる。けれど囚人を使えば費用は半分以下ですむし、犯罪者なのだから作業途中で死んでも仕方がない。というわけで、この過酷な開拓作業に網走の囚人があたることになったのです。ですが、逃亡されては困ります。囚人たちの作業は二人一組で鎖に繋がれながらの重労働でした。作業中に亡くなる囚人も多数いたといいます。そういった者たちは現場に埋葬され、目印に鎖が置かれたそうです。飢えと極寒と熊との戦い。現在の北海道の道はこのようにして開拓されたものなのです。
展示内容はかなりボリュームがありますので、見学時間は1時間では足りません。余裕をもったスケジューリングをおすすめします。
博物館網走監獄 http://www.kangoku.jp/index.html
2015年8月27日