楠木正成の本拠地、大阪で唯一の村・千早赤阪村!
自然豊かな千早赤阪村
大阪府の南東部に千早赤阪村という村があります。ここは大阪府下で唯一の村であり、大阪府では最も人口が少ない自治体です。早い話が、片田舎というわけですね。でも、それ故に自然が満ち溢れており、ここが大阪であることを忘れてしまうぐらい、ノンビリとした時間が流れています。
千早赤阪村の東側は奈良県に接しており、県境には大阪最高峰の山である標高1,125mの金剛山がそびていています(山頂は奈良県御所市)。金剛山は、大阪近郊では珍しく、冬には樹氷に覆われ、また四季によって様々な貌を魅せるため、非常に魅力的な山となっています。
さらに、大阪市内からでも容易に行くことができるため、日本有数のハイカーが多い山でもあります。そして、日本唯一の村営ロープウェイである金剛山ロープウェイが通じているので、気軽に登山を楽しむのにはもってこいでしょう。
【有料駐車場あり。バス利用では金剛バスもしくは南海バスの「金剛山登山口」「千早(金剛山)ロープウェイ前」下車】
樹氷に覆われた冬の金剛山
楠木正成ゆかりの地
千早赤阪村がある南河内地方は、歴史の宝庫でもあります。たとえば太子町などは、その名のとおり聖徳太子が活躍した飛鳥時代の7世紀頃に日本の中心となった地です。
しかし、千早赤阪村はあまりにも山深いせいか、その時代にはあまり顔を出しません。千早赤阪村が脚光を浴びるのは、それからグーンと時代が下って14世紀頃の、鎌倉時代末期のことです。
この頃、千早赤阪の地に、一人の武将が誕生しました。それが楠木正成です。この時代、弱体化した鎌倉幕府を倒すため、後醍醐天皇が決起しました。その後醍醐天皇に味方して鎌倉幕府軍と敵対したのが楠木正成だったのです。
千早赤阪村立郷土資料館の隣りにある、楠木正成の誕生地
千早赤阪で鎌倉幕府軍と死闘
1331年、楠木正成は千早赤阪で鎌倉幕府軍と相対しました。金剛山の麓にある下赤坂城で、鎌倉幕府軍と死闘を演じたのです。しかし、下赤坂城はにわか造りの城だったため、あえなく落城しました。
千早赤阪村立中学校のすぐ近くにある、下赤坂城跡
それでも楠木正成は、大軍の鎌倉幕府軍に対して一歩も引かず、さらに山深い上赤坂城(楠木城)や、金剛山の中腹にある千早城に籠城したのです。圧倒的戦力を誇る鎌倉幕府軍を相手に、石を崖から落としたり、油に火をつけるなどの奇襲で千早城を守り抜きました。
1333年、楠木正成や足利尊氏、新田義貞らの活躍によって鎌倉幕府は倒れ、後醍醐天皇を中心とする建武の新政が始まりましたが、公家ばかり重用する後醍醐天皇の政治に武士たちは不満を募らせ、足利尊氏は武士たちを率いて後醍醐天皇に反旗を翻します。
楠木正成は後醍醐天皇に尽しますが、神戸の湊川で足利軍に敗れ、無念の戦死を遂げました。1336年のことです。
日本の棚田百選
下赤坂城跡のすぐ近くに、下赤阪の棚田があります。ここは日本の棚田百選にも選ばれた、素晴らしい風景の場所です。毎年11月には、棚田がライトアップされる名所でもあります。
下赤坂城へ歴史散歩した折には、下赤阪の棚田を見るべきでしょう。700年近く前に、ここで死闘が繰り広げられたとは信じられないほど、平和な風景です。
【小規模の無料駐車場あり。バス利用では金剛バス「千早赤阪中学校前」下車】
下赤坂城跡から見下ろした、下赤阪の棚田
道の駅ちはやあかさか
千早赤阪村は鉄道が通っていないため、車での来村が便利です。その中心が「道の駅ちはやあかさか」でしょう。もちろん道の駅なので、無料駐車場があります。店の規模があまりにも小さいため「日本一かわいい道の駅」という愛称があります。
日本一かわいい道の駅・ちはやあかさか
隣りには、前述した楠木正成誕生地の石碑があり、また千早赤阪村立郷土資料館があります。入場料は大人200円、小人100円となっています。楠木正成をはじめとする、千早赤阪の歴史的資料が満載です。
【バス利用では金剛バス「千早赤阪村役場前」下車】
千早赤阪村立郷土資料館
公共交通機関を利用する場合は、近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅から河内長野行きの準急もしくは急行に乗って約30分、富田林駅で降ります。富田林駅の南口にあるバスターミナルから金剛バスの千早線に乗れば、バスの本数は少ないのですが上記バス停で降りると各名所に行くことができます。
富田林駅(富田林市)の南口バスターミナルにある、楠木正成の石碑
さあ、あなたも大阪とは思えない片田舎の千早赤阪村を満喫してみませんか?
2016年5月6日