真田信繁が14年を耐え忍び、再起した和歌山県「九度山」

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放映開始から大人気の大河ドラマ「真田丸」の主人公・真田信繁は、関ヶ原の合戦で負けた石田三成側についていました。そのため、徳川家康により父、真田昌幸と共に高野山麓の和歌山県の九度山に蟄居となります。そこで14年の間、過ごすことになるのです。今回は九度山を紹介します。

六連銭の九度山駅

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大河ドラマの影響で、九度山駅は真田色に染まっています。ここから真田親子が住んでいたという場所までは遠くありません。徒歩で向かうことができます。

真田伝説の抜け穴

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真田庵までの途中には、真田古墳という場所があります。この辺りに蟄居していた信繁が庵を結んだという話があります。ここがなぜ抜け穴と呼ばれるのかは、ここが抜け穴となっていて真田の有事に対応するようにしていた、という伝説があるからです。実際には6世紀頃の円墳ですから関係は無いのですが、伝説により観光地となっています。

真田庵と信繁蟄居まで

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真田親子の屋敷があったとされる場所は現在、真言宗の善名院であり尼寺です。関ヶ原の戦いの後、なぜこの地に蟄居となったのかには諸説あります。徳川家康とすれば真田は危険なので断固たる処罰をしたかったところでしょう。しかしながら信繁の兄、信之は徳川方でした。九度山に蟄居となる昌幸と信繁が石田三成方。親子兄弟はお家存続のため、あえて分裂して戦いに臨んでいたのです。

信之は徳川家康の勧めで本田忠勝の娘と結婚しており、戦での功績とその嘆願によって、父と弟は九度山蟄居となったと言われています。正式には一度、高野山預かりとなっていますが、山麓の九度山に住むことになりました。

真田庵の真田地主大権現

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真田信繁の父、昌幸はこの地にて64歳で病没しています。後に敷地内で真田地主大権現として神となり祀られることになるのです。

大権現裏手の宝物資料館は必見

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宝物資料館は真田地主大権現の裏手になります。無人ですので、中に入ったら左手にある入館料200円を入れる箱に、忘れずにお金をいれましょう。館内は自由に見ることができます。

様々な展示品

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内部には信繁が使ったとされる槍先、直筆の書、飯盆、その他真田軍が使ったとされる六連銭(六文銭)の陣幕など、見どころがかなりあります。

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ここはじっくりと見学して欲しい場所です。

街中の無料休憩所

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真田庵と九度山駅の中間辺りに、「真田いこい茶屋」があり、無料の休憩所となっています。こちらでお茶を頂くことができるので、一息入れるにはちょうど良い場所です。

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真田関連のお土産品が多く並んでいます。店内の人たちはボランティアでやっているとのことで、色々とお話を聞いてみるのも楽しい一時になるかも知れません。

最後に

真田親子の蟄居の地である九度山で、父昌幸は病没し、信繁が雌伏の時14年を過ごしたことは真田を知る上で軽視できません。

その後、大坂の陣に参戦し、戦国最強という名声を手にします。後に、「家康本陣に二度ならず三度までも突入し、立てられし家康の御馬印を倒したような勇士は、異国では知らぬことだが日本では例のない武者ぶり」と記録されています。

九度山町公式ホームページ
https://www.town.kudoyama.wakayama.jp/

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2016年8月1日

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