都内屈指の水郷風景を背景に、花菖蒲を楽しむ 東京都葛飾区を歩く
Index
体調が良いときに訪れたい広大な水元公園
今回行ったのは、東京都葛飾区。葛飾と言えば、柴又帝釈天が有名ですが、それに勝るとも劣らない観光スポットがあるのですよ。
それは、水元公園。広大な面積を誇る水郷公園ですな。私がまだ20歳代だった頃、ここを訪れ、大変な思いをした経験があるのです。
当時は冬で、ちょっと風邪気味でした。でも、23区内の公園だし、少々体調が悪くても楽勝だと思ったのです。ところが、あまりにも広く、寒風が吹き荒れても当時は避難する場所がない。
地平線まで見渡せるような芝生広場で、行き倒れるかも、と途方に暮れたのを思い出します。やっとの思いで帰宅すると、そのまま寝込んでしまったのですね。
その後、水元公園の名前を耳にするたびに当時の過酷な状況が思い出されるのでした。今回は、そのトラウマを解消すべく、訪れてみようかと思ったのですよ。ホントは、地下鉄の広告で、水元公園が、都内屈指の花菖蒲の名所だと知ったからですが…。
在原業平ゆかりの南蔵院
ウォーキングのスタートは、JR金町駅。
北口を出てすぐ右折し、商店街を歩いて、金町しょうぶ通りに出たら左折。そのまま商店街をテクテク歩きます。
金町小学校の先を右折し、バス通りに出たらそこを左折して進みます。30年以上前は、この辺りは畑がところどころ残っていたと記憶していますが、今は全部住宅地になってしまったのですな。
バス通りのほとりにある東水元公園に、しばられ地蔵の石碑が立っています。
石碑の脇の道を歩いて行くと、立派な山門が…。
ここが、あの有名なしばられ地蔵のあるお寺・南蔵院なのですね。
南蔵院は、室町時代に創建されたお寺。当初は、在原業平が居住していたと言われる本所小梅町付近、現業平橋周辺にあったらしい。その後、江戸の元禄時代に墨田区吾妻橋へ移転、関東大震災で罹災し、この地へ移転したのですか。
この白御影の砂利は隅田川を表しているそうで、在原業平が隅田川の近くに写経して収めた塚などの故事に基づくものだそうな。
大岡裁きとしばられ地蔵の深い関係
境内の奥には、縄でぐるぐるに縛られたお地蔵様が…。
ここまで縛られてしまうと、縄が服みたいにも見えたりして。
さて、しばられ地蔵と呼ばれるようになった由来には当然、興味深いエピソードがあるのですね。
江戸時代、徳川吉宗が将軍であった頃、ある呉服問屋の手代がここ南蔵院の前で、一休みしようと背負っていた反物をお地蔵様の横に置いて休んだところ、うっかり寝入ってしまったらしい。そして目覚めた時には、大事な反物が無くなってしまっていたそうな。
当時の江戸町奉行と言えば、有名な大岡越前守。手代が奉行所へ駆け込んだところ、大岡越前は、「門前に立ちながら盗人の所業を見逃すとは、不届きな地蔵である。その地蔵を召し捕ってまいれ」と命じたとか。そして、お地蔵様が縄で縛られ、台八車に乗せられ奉行所に連行されたのですか。
江戸中にその噂が広がると、お地蔵様のお詮議を見物しようと奉行所の白洲に傍聴者が殺到したそうな。大岡越前守は、集まった傍聴者に対して「奉行所をなんと心得る。野次馬には罰として木綿一反の過料を申し渡たす」と命じたのですか。
やがて罰金?の反物の中に盗品が紛れ込んでいるのが判明。そのルートをたどることによって、盗人が逮捕されたらしい。それ以来、盗難や厄除けなど、あらゆる願いごとを叶えてくれる地蔵尊として大ブレイクを果たしたそうな。
本来はもう少し紆余曲折を経るストーリーなのですが、簡単にあらすじを期すと上記のようになるみたい。
このエピソードは大岡政談という話の中に登場し、ほとんどフィクションだったと言われているそうですね。突っ込みどころ満載の話ではありますが、現在も多くの人たちか願掛けに訪れるのだから、ホントの話よりすごいかも。
それにしても、縛られるのが好きな人は今も昔も多かったのだろうかと、不謹慎なことを考えてしまう今日この頃。
それはともかく、ほかにも南蔵院の境内は、水琴窟やあじさいなど見どころはたくさんありました。
こちらは、またがると出世するという出世牛。
70歳過ぎのお年寄りも皆腰かけていました。いくつになっても、出世したいと思いますよね。もちろん、私も腰かけましたよ。もう手遅れかもしれませんが…。
非常用の早鐘として用いられたかつてのお寺の鐘
南蔵院を出て、いよいよ水元公園へ。菖蒲園を下に見ながら土手の道を歩いて行くと、お寺がないのになぜか鐘楼が…。
これは、「松浦の鐘」と言って、かつてこの辺りの領主であった松浦河内守信正が1757年に菩提寺・竜蔵寺に奉納しただそうな。ちなみに、松浦河内守は長崎奉行や勘定奉行に任ぜられた幕府の要人。
明治の初めに廃寺となって鐘は村有となり、水害時など非常用の早鐘として用いられた。現在は区指定の文化財。
…と、解説板にありましたが、肝心の鐘がありませぬ。よく見たら張り紙があり、「現在、梵鐘の老朽化に伴い、改修が完了するまでの間、鐘を「郷土と天文の博物館」にて保管しております」と書いてあります。
滅多に来るところではないですが、やはりあるべき場所にないと寂しい気持ちになりますな。早く、里帰りできるといいですね。
東京23区内最大規模の水郷がある
土手を下りると、そこは都立水元公園。東京23区中でも最大規模の面積を誇る水郷公園ですね。
この広々とした水辺の風景を見ると広い池か湖のようですが、小合溜と呼ばれる準用河川なのだとか。
この場所は、もと古利根川の河川敷で、徳川家光の江戸川改修事業によって古利根川は廃止されたため、当時の小合村が埋め立てて耕作地としたらしい。その水源として水を蓄え、小合溜として管理してきたのですか。
小合溜の向こう岸は埼玉県三郷市。あちらも美しい緑が広がっていますが、埼玉県立みさと公園なのですね。そういえば以前、みさと公園から水元公園の美しい景色を眺めたことを思い出しました。
約100種類、1万4000株の都内最大規模の花菖蒲に出会える
水元公園は23区とは思えない景観が魅力ですが、特に6月上旬から下旬にかけてはさらに魅力がアップするのですよ。それは、もちろん花菖蒲の存在。
約100種類、1万4000株もの花菖蒲が園内に彩りを添えるのですな。規模としても、都内最大で、花菖蒲が咲く時期は菖蒲まつりが開催されるのですね。
期間中の土・日曜には、歌謡ショーなどのイベントが行われるのですが、平日だったので残念ながらそれらは拝めませんでした。しかし、その分、ゆっくりと菖蒲の美しさを堪能できるというメリットも。
園内では、お年寄りたちが、一眼レフのカメラで写真を撮っている姿が印象的でした。80歳を超えているように見えるお年寄りも、大きなカメラを首からさげて歩いています。元気ですね。
チューリップなどゴージャスな西洋の花より地味なイメージですが、花菖蒲の楚々とした美しさはお年寄りたちの心を掴むのかも、と感じました。
これまで花菖蒲はじっくりと眺める機会はなかったのですが、よく見ると、さまざまな色と形があるのですね。
あじさいとのコラボも、梅雨のこの時期の醍醐味のひとつですな。
水郷風景と花菖蒲のコラボもなかなかでした。
2016年7月1日