江戸時代の下町を体感できる深川江戸資料館と有名人のお墓、相撲部屋を巡る旅 東京都江東区

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探検家・間宮林蔵のお墓がある

本日も、江東区深川周辺の散歩を続けます。清澄通りを渡り、お寺が立ち並ぶ通りを歩いて行くと、交差点の横にお墓がポツンと立っています。

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これが、歴史の教科書でもおなじみの探検家・間宮林蔵のお墓。樺太が島である事を確認した事で知られ、樺太とユーラシア大陸との間にある間宮海峡の名前にもなっていますね。幕府の隠密だったとも言われているそうな。

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このお墓は、生前に自ら建てたとされますが、昭和20年の東京大空襲で破損してしまったらしい。戦後、拓本を基に再建されたのだとか。茨城県つくばみらい市にも生前に建てた彼のお墓があるそうで、蝦夷地探査に向けて決死の覚悟で旅だったのを窺い知ることができます。

豪商・紀伊国屋文左衛門のお墓がある

間宮林蔵のお墓の前の道を北上し、龍光院というお寺の角を左折、しばらく歩くと成等院という小さなお寺の右手に、鉄柵で囲まれたスペースがありました。解説板がなければ、確実に通り過ぎていたでしょうね。それを読むと、なんと、紀伊国屋文左衛門の墓だとか。

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中に入れなかったので、柵の上から写真を撮影しました。ちなみに、お墓のように見える大きな石碑は顕彰碑で、お墓はその左手に朽ちかけているような小さなお墓だそうです。残念ながら、遠いのでよくわかりませぬ。

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紀伊国屋文左衛門は、紀州湯浅の出身。嵐の中、紀州みかんを江戸に運んだエピソードが有名ですね。彼が一代で築いた巨富は、みかんを江戸に運び、その帰りに塩鮭を上方に運んだり、上野寛永寺の建築材料を納入したりして作ったらしい。文左衛門と言えば、吉原でのお大尽遊びなど、豪快なイメージがありますな。

それにしては、お墓はちょっと質素すぎるような気も。前方後円墳くらい作りそうな人物のイメージですが、江戸時代の商人のお墓は、誰もこんな感じだったのでしょうか。

老中・松平定信のお墓がある

紀伊国屋文左衛門のお墓から少し歩くと、立派な門構えのお寺があります。ここは、霊巌寺。

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1624年に創建されたお寺で、元々は、現在の中央区新川にあたる霊巌島にあったらしい。ちなみに霊巌島は、日本橋付近の芦原を埋め立てて作られた島。ところが、1657年、江戸の大半を焼失した明暦の大火により霊巌寺も延焼し、その翌年、現在地に移転したのだとか。

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このお寺には、歴史の教科書に寛政の改革を行った人物として知られる松平定信のお墓がありました。定信は、8代将軍徳川吉宗の孫にあたり、奥州白河藩主。そういえば、ここの町名も白河ですな。

老中首座として、吉宗の享保の改革を手本とした寛政の改革を行い、緊縮財政、風紀取り締まりによる幕府財政の復活を目指したのですか。ただ、改革は失敗に終わり、老中を辞職したそうな。その後は白河藩の藩政で実績をあげたと言われておりまする。

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残念ながら、墓所には入れませんが、外から立派なお墓を拝むことができました。

霊巌寺には、私のブログでおなじみの江戸六地蔵があります。

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江東区富岡の永代寺は現存していないそうなので、残るは台東区東浅草の東禅寺のお地蔵さまだけですね。何とか、達成したいと思うのでした。

江戸時代の深川の町を歩ける深川江戸資料館

霊巌寺の隣にあるのが、深川江戸資料館。

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ここは昔から、何度もお邪魔しているところですね。かなり昔からやっていると思ったら、開館は昭和61年だとか。広い展示スペースいっぱいに、江戸時代の深川の町並みや庶民の生活ぶりを再現するとは斬新な発想だな、と当時思った記憶があります。現在は、江戸東京博物館など、とんでもない広さの空間で江戸の街並みを体感することができますが…。

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地下へ向かう階段を下りるにつれて、自分が江戸時代にタイムスリップした気分になります。そういえば昔、タイムトンネルというテレビドラマがありましたね。

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突然、屋根の上のロボット猫がニャーと鳴き、リアルに動くのが見えました。ニャンコの習性は、江戸時代も現在も変わらないようで。

資料展示室は、地下1階から地上2階までの吹き抜け空間。時代は、1842年から1843年を想定して作られているらしい。具体的には、長屋2棟をはじめ八百屋、舂き米屋、火の見櫓、猪牙舟の浮かぶ掘割、船宿のたたずまいなど。

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家の中の生活用品類一つ一つにまで細かく気を配って再現しており、実際に手にとって見ることができるのだとか。

たとえば八百屋の店先には、季節の野菜のほか、漬物やこんにゃく、卵などが並んでいます。昭和の八百屋さんから比べると、品目や量が少ないような。江戸時代は、こんな感じで売られていたのですな。

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これは、舂き米屋の店先の風景。舂き米屋とは耳慣れない名前ですが、米問屋から米を仕入れて庶民に売るのだとか。唐臼という器械で精米するらしい。

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そして、テレビドラマでもおなじみの船宿。今で言う水上タクシー・猪牙舟を使って、船頭が人や荷物を搬送するのですな。飲食や宴会もできるスペースが設けられていました。

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火の見櫓は、川越のものが有名ですね。町を火事から守るための建物で、最上階には半鐘が吊るされています。火の手があがると、番人がこれを鳴らして町の人たちに知らせるらしい。

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江戸時代の庶民の暮らしぶりも体感できる

時代劇にもよく登場するそばの屋台もありますな。

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個人的には、長屋が興味深かったです。長屋とは、言うまでもなく、長い家を壁で仕切っただけの庶民の住む家。一心太助などの時代劇でもおなじみですね。ここでは、五家族が暮らしているという設定で、それぞれの職人たちの暮らしぶりか紹介されていました。

ちなみに、あさりやしじみのむき身を天秤棒で売る政助さんちでは、部屋の中にむき身がたくさんありまする。

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あとは、三味線の師匠や木挽き職人、船頭などそれぞれ個性ある暮らしぶりが興味深かったです。それぞれの家の家族構成まで決められているとはなかなか芸が細かいですな。

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たんに江戸時代の庶民の家の中や外が展示されているのではなく、深川の一日の暮らしを音響と照明効果で演出しているところも面白い。

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一定の時間ごとに、夜明けの演出による朝日や、鶏の鳴き声などが聞こえ、その後、あさり売りや金魚売りの声、雨の音、夕焼けなど一日の情景を表現しているのですよ。

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雨の日や雨上がりの虹など、長くいると、自分が実際に江戸時代の深川に暮らしているような気分になるのですね。これらの演出は、季節ごとにも変わるそうなので、毎回、新たな発見があって楽しいかもしれませぬ。

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清澄白河駅周辺には相撲部屋がいっぱい

深川江戸資料館を出て、大江戸線の清澄白河駅に向かいます。実は、この近くは相撲部屋も結構あるのですよ。帰り道に、はしごで回ってみようか、と…。

まずは、錣山部屋。

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錣山親方と言っても、よほど相撲に詳しい人はわからないでしょうね。でも、寺尾と言えば、多くの人はご存じのはず。兄の逆鉾とともに名関脇として有名ですな。ここに部屋を構えたのは、2006年12月だそうで、現役では豊真将が知られていますね。

こちらは、大嶽部屋。大鵬道場という看板も掲げられているように、ここは元大鵬部屋でした。以前、この前で大鵬親方を見たこともありましたね。

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現役では、エジプト出身の大砂嵐がおりまする。

そして、こちらは山響部屋。

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こちらも、以前は大横綱で理事長を務めた北の湖の部屋でした。北の湖か急逝したので、元幕内の巌雄が部屋の師匠に就任したらしい。それにしても、大鵬と北の湖という日本人の二大横綱がこの近くにいたのはすごいですね。現在は、北太樹などの関取がおりまする。

ほかにも部屋はありますが、最後に紹介するのは高田川部屋。

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こちらも、かつて関脇として鳴らした安芸乃島が親方をしているらしい。それにしても、最近の相撲部屋はモダンと言いますか、外からみたら会社みたいな佇まいなのですな。

ネットで調べたら、この周辺の相撲部屋見学ツアーもあるのですか。是非、稽古の様子を拝見してみたいと思うのでした。

2016年8月9日

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