リレー徘徊28 庭が見事!!加賀屋新田会所跡(大阪市)
新田開発の運営管理する今で言う所の事務所を「会所」と呼び、宗門人別改帳(今の戸籍)の作成、小作人からの年貢の徴収や貯蔵、さらに堤防・水路・樋門・道路などの維持管理、役人への応対等の業務を行ったそうです。現在、大阪府下に残る新田会所は「東大阪市の鴻池新田会所跡(国の重要文化財)」と「八尾市の安中新田会所跡(旧植田家住宅)とこの加賀屋新田会所跡で江戸時代中期の貴重な歴史景観を今に伝えています。
私は、加賀屋新田会所の庭が素晴らしいと思ったので庭を中心にご紹介しますね。
加賀屋新田会所跡の概要
加賀屋新田会所は、大阪淡路町の両替商・加賀屋甚兵衛によって宝暦4年(1754年)に完成、甚兵衛はここに居を移し、以後、周辺地区の新田開発を進め加賀屋新田という村名を得たそうです。古い形態を今に伝える書院や茶室を中心とした座敷&居宅部分と庭園によって構成されています。ただし、北側の土蔵は明治期に移築されたとか…。
余談ですが、加賀屋甚兵衛は「両替商の加賀屋に奉公修行しのれんわけしてもらった甚兵衛さん」ゆえの名前で、甚兵衛さん76歳の時に新田開発の功績から名字帯刀を許され以後「桜井甚兵衛」と名乗ったそうです。
茶室
庭の池を一望できる大きな数奇屋風茶室「鳳鳴亭(ほうめいてい)」は、舞台造りと呼ばれる高床式の柱組み、まるで鳳凰が飛び立つ!って感じなのでこの名前がついたそうです。で、ちょっと言葉解説〜「数奇」とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことで、「数寄屋」とは「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味するそうな〜この茶室の窓からの庭の眺め、よいですね〜♪
もうひとつ、庭にある待屋「偶然亭」から露地を通り、にじり口から入る小さな茶室があります
庭から池越しに鳳鳴亭を見たところです
書院
玄関、六畳の次の間、八畳の座敷で構成されています。玄関上がってすぐの丸窓から見える庭がかわいいです。
書院とは、書斎を兼ねた居間の中国風の呼称なんだそうですね
座敷に架かるこの額、大正3年(1914年)学者・西村天因(にしむらてんしゅう:朝日新聞コラム天声人語の名付け親)が会所を「愉園(ゆえん)」と命名、それをうけ清の文人・羅振玉(らしんぎょく:考古学者)が書いたそうな。
書院から見た庭。縁側で庭を眺めるの最髙〜♪
鳳鳴亭から庭越しに見た書院
前庭
冠木門(かぶきもん)から書院・玄関迄、趣のある石畳の小径が続いています。なんでも昔は枯山水の庭であったとか。どこか京都の香りのするは小径の石畳の組み方でしょうね。
庭園
作庭家は不明ですが「大茶人・小堀遠州風の築山林泉回遊式庭園(つきやまりんせんかいゆうしきていえん)」と言われています。この様式の庭は、池、築山(土砂や石を積み上げて人工的に作る山)、曲水(きょくすい:曲がりくねって流れる小川)、樹林などを主体に構成し、移りゆく景色を眺めながら一周するとひとつの絵巻物を見終わるという趣向で造られているのだそうです。
心字池
東池と西池に分かれた「心」の形をした池で、ほぼ真ん中に築山が設けてあります。この池の周りに起伏に富んだ小径がめぐらしてあり、見る立ち位置から風景がかわりますね〜下の風景は、椛の山間地に流れる清流に思えますね〜♪
こちらは、手前の笹越しに見える風景は、里山の野池と農家って風情ですね〜♪ 昔は、この池から舟の乗り井路(いじ:水路の事)を通って十三間川へ出て市中の芝居小屋まで遊びに出掛けたそうです。優雅ですよね〜♪
築山・四阿「明霞亭(めいかてい)」
築山の上に四阿(あずまや)として再建されていますが、空襲で焼ける前は高殿造りの茶室が建っていたそうです。ここから生駒山が見えたとか…たしかに鳳鳴亭を見下ろすこの感じ、かなりの高さありですね。さて、庭と言えば「京都!!」の前に南海汐見橋駅に立ち寄りますぅ〜♪
加賀屋新田会所跡(加賀屋緑地)のご案内をば〜
◆場所/住之江区南加賀屋4-8
◇交通/地下鉄「住之江公園」駅下車徒歩15分・市バス「南加賀屋四丁目」下車徒歩5分
◆休園日/毎週月曜(当日が休日の場合はその翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)
◇開園時間/10時~16時30分
◆入場料 /無料
◇問合せ/06−6683−8151(管理事務所)
2016年9月2日