「真田丸」vs「独眼竜政宗」の対決”道明寺の戦い”!~誉田の激闘~

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徳川軍の追撃

前回の「小松山前哨戦」では、大将の後藤又兵衛(後藤基次)を失った豊臣軍の後藤隊は小松山(現:柏原市)を降りて、道明寺(現:藤井寺市)まで後退した、というところまでお伝えしました。

1615年5月6日未明に始まった小松山の戦い徳川軍の勝利となり、大坂夏の陣・道明寺の戦いの第1ラウンドを制したのです。さらに徳川軍は後藤隊を追って、道明寺近くの石川で追撃態勢に入りました。

一方の豊臣軍も、昼前になってようやく薄田兼相(薄田隼人)明石全登山川賢信らが合流しました。それでもまだ、真田信繫(真田幸村)は到着しなかったのです。

石川で道明寺の戦いの第2ラウンドが始まりました。豊臣軍7千に対して徳川軍は2万超、豊臣軍は圧倒的に不利です。

小松山の戦いから平地戦へ、豊臣軍と徳川軍が再び激突した石川(藤井寺市)
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薄田兼相の活躍

しかし、豊臣軍の薄田兼相は全く怯まず大善戦、徳川軍はタジタジになりました。薄田兼相は半年前の大坂冬の陣で、遊郭に通っている間に砦を徳川軍に破られてしまうという大失態を演じたために「橙武者(見掛け倒しの武士)」と罵られた武将です。

ところが、その汚名を返上して余りある活躍ぶりでした。でも、圧倒的戦力の差は埋められずに討ち死に。またしても豊臣軍は優秀な武将を失いました。

羽曳野市立誉田中学校の近く、畑や民家の一角にひっそりと建つ薄田兼相の墓
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真田幸村vs伊達政宗、最初で最後の戦い

正午頃、遅れていた幸村がようやく合流しました。エースの登場に豊臣軍は意気が上がります。

しかし、豊臣軍は誉田(現:羽曳野市)まで後退していました。それを追う徳川軍。午後に行われた戦いを誉田の戦いと言います。

真田幸村の前に立ちはだかるのは”独眼竜”の異名を持つ伊達政宗。共に齢49歳、戦国の世に鳴り響いた戦の天才同士による、最初で最後の戦いの火蓋が切られました。

真田幸村と伊達政宗が、たった一度だけ戦った誉田周辺(羽曳野市)
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激闘を制するか!?真田幸村

まず、伊達隊の先鋒である片倉重長(片倉重綱)隊の鉄砲が一斉に火を噴きました。これに対して真田隊は、身を伏せてじっと耐え抜く得意の戦法。

反撃がないため、前進して来る片倉隊に対して真田隊が一斉射撃。突然の攻撃に大混乱となった片倉隊はたまらず退却。先鋒の片倉隊が大苦戦したため伊達隊は動揺し、今度は幸村が騎馬隊で攻め込みます。幸村の果敢な戦法に伊達隊は1km近くも後退しました。

しかし、すぐに態勢を立て直す伊達隊。一方の真田隊も被害が大きく、一旦は藤井寺(現:藤井寺市)まで引きます。そして両軍は膠着状態に陥りました。

誉田林古戦場址の記念碑がある誉田八幡宮(羽曳野市)
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誉田林古戦場址の記念碑
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互いに認め合う両雄

午後2時半頃、幸村は退却命令を受けました。中河内(現在の八尾市および東大阪市)で行われていた八尾・若江の戦いで、豊臣軍が敗れたとの報が入ったのです。

やむを得ず、大坂城方向の天王寺口へ撤退する幸村。しかし、徳川軍は追撃しませんでした。昨夜からの激闘により、兵士の疲労を心配する伊達政宗が追撃に大反対したのです。

追撃してこない徳川軍に対し、幸村は「関東軍百万も候へ、男は一人もなく候(関東武者は100万人もいるのに、男は1人もいないのか)」と呟いたと言われています。しかし、伊達政宗が追撃に反対した理由は、最強のライバル・幸村を背後から攻撃するのは卑怯だと思ったからだという説もあります。

また、幸村は三女の阿梅を伊達隊の先鋒・片倉重長に預けるという、敵同士とは思えない行動をとりました。幸村もまた、伊達政宗を信用していたのでしょう。阿梅は後に、片倉重長の妻となります。

5月6日未明から始まった小松山の戦いおよび誉田の戦い、即ち道明寺の戦いは幕を閉じました。大坂夏の陣は、いよいよ最終章を迎えようとしています。

上からは道明寺・誉田が一望できる古室山古墳(藤井寺市)。豊臣軍が陣を構えたという
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真田幸村、力尽く

翌5月7日、大坂城南側の天王寺口(現:大阪市天王寺区)で天王寺・岡山の戦いが勃発。幸村は敵の総大将・徳川家康をあと一歩まで追い詰めました。このとき家康は死を覚悟したと言います。

しかし、圧倒的な徳川軍の兵力の前に幸村は討ち死に。家康が最も恐れた男は、波乱に満ちた49年の生涯を閉じました。

同日深夜に大坂城は陥落。大坂夏の陣は終結し、翌日には豊臣秀頼と母の淀殿が自害、豊臣家は滅んで完全に徳川の天下となったのです。

あべのハルカスから見た、真田幸村最期の場所・茶臼山付近。現在は天王寺公園の一角
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”道明寺の戦い”を散策

道明寺の戦いが行われた大阪府南東部の藤井寺市・柏原市・羽曳野市は近鉄南大阪線の道明寺駅(準急停車)が中心となりますが、その前後の土師ノ里駅(準急停車)と古市駅(急行停車)にも及びます。かなり広範囲になるので、泊りがけで散策した方がいいでしょう。

それでは、真田幸村が亡くなる前日にいた場所を満喫してください。

注:記事で紹介した歴史上の出来事については諸説あります。

2016年9月30日

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