リレー徘徊43:等持院界隈〜お庭を見る前に編
前回の堂本印象美術館から南へ下ると櫻谷文庫があります。この建物は、日本画家・木島櫻谷(このしまおうこく:明治10年〜昭和13年/1877年〜1938年)の暮らしていた住宅で、彼の作品、習作、写生帳や画材、手紙類などの資料類や彼が収集した日本画関係書画、詩文集、書籍、典籍など数千点以上の収蔵していて年に1回、春に一般公開されています。この櫻谷文庫から西へ向かうと等持院界隈です。ちなみに上の写真は、等持院東隣の萬年山真如寺の境内の風景です。
「櫻谷文庫(日本画家・旧木島櫻谷住宅)」
櫻谷文光周辺は明治末期「絵描き村」と呼ばれ、京都画壇を代表する多くの画家が暮らしたそうです。志賀直哉も一時住んでいたとかで、暮らした旧家が残っていないか、町名はわからないかと調べましたが残念ながわ分からず。その他、映画監督の牧野省三も住んでいたとあり…あれ、京都のどこかでこの監督の名前と出会ったなぁ~と記憶を探ってみると太秦の三吉稲荷神社・八幡菩薩の境内に「日本映画の父 牧野省三先生顕彰之碑」がありました〜(リレー徘徊5 まさに京都の映画村!太秦 蚕ノ社を歩くを参照)。旧住宅の中は、和館、洋館、画室の三棟になっているらしいですが、外からは洋館?だけがよく見えてます。この櫻谷文庫は、年に一度、春に公開されています。しっかり計画を立てないと中を見れないでしょうね。
外からよく見えるのは洋館部分です。
2016年春の公開告知チラシです。詳しくは櫻谷文庫のWEBページをご覧ください。
区民の誇りの木
櫻谷文庫から西へ歩くと公園があって、見事な枝振りの大樹、近づき見ると「区民の誇りの木・アベマキ」と札がかかってました。区民の誇りの木って何?〜と調べてみると平成12年に京都市建設局みどり政策推進室が、次世代に伝えていきたい地域の古木・名木などを各区民から推薦してもらい、区民の代表者と専門家からなる委員会で審議、872件の樹木を「区民の誇りの木」に選定したそうです。詳しくは、京都市のページをご覧ください。ちなみに「アベマキ」とは、ブナ科コナラ属の落葉高木で、コルククヌギ、ワタクヌギとも言われ、秋になるとドングリが沢山実る高木です。しかし、でかいですね!!
等持院界隈は、ぶらぶら歩きに最適〜♪
西へ歩くと直ぐに等持院、じゅあ早速拝観~もいいですが、周辺も是非歩いてみてください。区民の誇りの木があった公園から歩いてすぐに綺麗な石畳の参道があります。萬年山真如寺の玄関口ですが、ここからは境内に入れません。等持院の西側は土塀が続く雰囲気の良い路地、ブラブラ歩きに最適であります。
等持院西側の功運院、拝観できませんが…
玄関先の庭を垣間見れます。
こちらは等持院東の萬年山真如寺の正面門、でもココから入れませんが…
石畳の参道、歩いて見たい衝動に駆られますね〜
萬年山真如寺
ここは臨済宗相国寺派のお寺で、大本山相国寺の三つある山外塔頭の一つだそうです。なんとあとの二つの山外塔頭は、超有名な「鹿苑寺(金閣寺)」と「慈照寺(銀閣寺)」だそうで、古くは五山十刹の十刹にも数えられていたとか、高い位の寺院だったんですね。今の境内の様子から「鹿苑寺(金閣寺)」と「慈照寺(銀閣寺)」と並ぶ塔頭には見えません。調べて見たら、このお寺で延文3年(1358年)には足利尊氏(室町幕府の初代征夷大将軍)の葬儀を行ったなど、お隣の等持院同様に室町幕府の手厚い保護を受けてましたが、寛正2年(1461年)に焼失後、応仁の乱の混乱もあり江戸時代迄、再興されなかったそうです。ちなみに拝観無料です。
次回、萬年山真如寺の横にある六請神社(ろくしょうじんじゃ)をご案内し、等持院の庭をご紹介しますね。
2017年1月27日