日本武尊の墓が大阪・羽曳野にある!?白鳥神社と白鳥陵古墳

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神話の世界へご招待

大阪府南東部にある羽曳野(はびきの)市。市の東部およびその付近は「近つ飛鳥」と呼ばれ、奈良県明日香村の周辺にある「遠つ飛鳥」と並ぶ、古代史遺産の宝庫です。

古代史ではまだ判っていないことが非常に多く、したがって羽曳野市は神話に満ち溢れています。その中でまず、白鳥(しらとり)神社にご案内しましょう。

近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅から、急行もしくは準急に乗って約15~20分で古市(ふるいち)駅に着きます。駅の東側出口から徒歩すぐの所に白鳥神社があります。

白鳥神社の入口

祭神は日本武尊

白鳥神社は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祭神としています。日本書紀では日本武尊と書かれていますが、古事記では倭建命と記されています。

日本武尊は第12代・景行天皇の皇子で、天皇の命令により九州南部の熊襲(クマソ)を征伐、その際にクマソタケル兄弟の弟から「ヤマトタケルと名乗るがよい」と言われました。

その後、出雲(現:島根県)のイズモタケルを征伐(日本書紀には記述なし)、さらに東国も平定したと言います。つまり、大和朝廷(ヤマト王権)の全国統一を実現させたようなスーパーヒーローですが、本当にそんな人物が実在したのでしょうか?

白鳥神社内にある鳥居

残念ながら、日本武尊は伝説上の英雄だったようです。「ヤマトタケル」とは「大和の勇者」という意味で、固有名詞ではなく普通名詞だったと考えられています。つまり、何人かの武将の総称であり、いくつかの武勇伝を1人の皇子の物語としたという説があります。

なお「白鳥神社」は大阪だけではなく日本全国にあり、その多くが日本武尊に因んだものです。羽曳野の白鳥神社では、日本武尊だけではなく素戔嗚命(スサノオノミコト)という神を祀っており、規模は小さいながらも神話に包まれた神社です。

神話に包まれた白鳥神社

日本武尊の墓!?白鳥陵古墳

では、白鳥神社を出て、近鉄線の線路を越えて西の方へ歩いて行きましょう。細い路地を入って行くと約15分で、木が生い茂った小高い丘および濠が見えてきました。

ここが白鳥陵(はくちょうりょう、しらとりのみささぎ)古墳です。白鳥神社も元々は、白鳥陵古墳の頂に鎮座していたそうです。つまり、白鳥陵古墳は宮内庁により、日本武尊の墓として治定されています。ということは、実在しない人物の墓!?

実際には誰の墓かは判らないので、軽里大塚(かるさとおおつか)古墳あるいは前の山古墳とも呼ばれています。築造は5世紀後半とされ、墳丘長190m、高さ23mの前方後円墳です。百舌鳥古墳群と共に世界遺産登録を目指す古市古墳群の一つとなっています。

日本武尊の墓とされる白鳥陵古墳

なぜに白鳥?

白鳥神社といい白鳥陵古墳といい、なぜ日本武尊に関係するものには「白鳥」と名付けられているのでしょうか。これは、日本武尊による伝説から来ています。

伊勢(現:三重県)の能褒野(のぼの)で日本武尊は病死しました。すると日本武尊は白鳥となって西の方へ飛んで行き、大和(現:奈良県)の琴弾原(ことひきはら)、そしてここ河内(現:大阪)の旧市邑(ふるいちのむら)に辿り着いたと日本書紀には書かれています。

そのため、日本武尊の墓は羽曳野の白鳥陵古墳以外にも、三重県亀山市の能褒野墓、さらに奈良県御所市の白鳥陵と3つあるのです。

日本武尊の墓はここ白鳥陵古墳以外にも、他にあと2つある

その後、白鳥は「埴生野(はにゅうの)に向かってくが如く飛び去った」と伝説は続き、それが「羽曳野」という地名の由来となりました。そう言えば、羽曳野にある道の駅の愛称も「しらとりの郷」でしたね。

そのせいか、白鳥陵古墳の濠には鳥の群れが浮かんでいます。でもよく見ると、白鳥ではありませんでした(笑)。

白鳥陵古墳の濠に浮かぶ鳥の群れは、白鳥ではありません

神話と伝説の街・羽曳野へ

さあ、あなたも数々の神話と伝説に彩られた街・羽曳野を散策してみませんか。日本最古の官道である竹内街道の一部は白鳥陵古墳の北側を通っており、ウォーキング・トレイルはびきのとして他の古墳も散歩できるコースとなっています。

羽曳野を歩けば、日本の黎明期を感じることができるでしょう。

ウォーキング・トレイルはびきのとして舗装されている竹内街道。右が白鳥陵古墳

2017年2月24日

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