東アジア初の女帝&遣隋使!大阪・太子町の推古天皇陵と小野妹子墓
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まだまだある!太子町の史跡
大阪府南東部にある田舎町・太子町はかつて”近つ飛鳥”と呼ばれ、そこにある数々の史跡をこのコラムでも紹介してきました。町名の由来となった聖徳太子(厩戸皇子)の墓所がある叡福寺や幾つかの天皇陵、そして奈良県明日香村の”遠つ飛鳥”と”近つ飛鳥”を結んだ日本最古の官道である竹内街道など。
今回も飛鳥時代に活躍した偉人たち、聖徳太子とゆかりの深い人物の墓所をご紹介します。
太子町を流れる飛鳥川。奈良県明日香村の飛鳥川とは全く別の川だが、共に大和川水系
東アジア初の女帝・推古天皇
まずは推古天皇陵にご案内しましょう。593年に即位した第33代天皇の推古天皇と言えば聖徳太子の伯母にあたり、日本初、いや東アジア初の女性君主として知られています。
時の絶対的権力者、蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺、次期天皇候補が複数いたので、無用な争いを避けるために前例のない女性天皇を推したと言われています。また、蘇我馬子にすれば、女性天皇の方が意のままに操られると計算したのでしょう。
しかし、推古天皇は聡明な女性で、決して蘇我馬子の傀儡ではありませんでした。甥の聖徳太子を摂政とし、蘇我馬子を上手く立てながら聖徳太子と二人三脚で政治を行ったのです。
推古天皇陵の入口
推古天皇陵は磯長山田陵もしくは山田高塚古墳とも呼ばれており、約60m四方の方墳です。目立たない所にあるため、筆者も見つけられず困っていると、野良仕事をしていたオジサンから「どこに行きたいんや?」と言われました。
そのオジサンに場所を教えてもらい、なんとか行くことができました。古墳時代の仁徳天皇陵などと違い、随分と小ぶりになっています。
小ぶりな推古天皇陵
なお、推古天皇陵の最寄りのバス停は御陵前バス停です。この停留所へは、近鉄長野線の喜志駅の東口ロータリーから金剛バス「太子まわり循環」もしくは「葉室まわり循環」に乗ると行くことができます。
遣隋使・小野妹子
推古天皇陵からさらに東の方へ行くと科長神社があります。科長神社の横には長い階段があり、そこを登ると小野妹子墓に辿り着きます。
科長神社の横にある、小野妹子墓に通じる階段
小野妹子と言えば遣隋使として知られています。進んだ大陸文化を学ぶために、推古天皇および聖徳太子からこの大役を任命され、607年に隋(現:中国)へ渡りました。
小野妹子墓も小ぶりで、周りに木が植えられています。ここで今度はオバサンに声を掛けられ、この木はヤエザクラで春になると綺麗な花が咲く、と教えてくれました。残念ながら筆者が行った時、桜は咲いてませんでしたが、ぜひ満開の時に行ってみたいですね。
また、小野妹子墓の周りで写真を撮っていると、野良仕事をしていたオジサン(もちろん、推古天皇陵でのオジサンとは別人)から「ええ写真、撮れたかあ?」と訊かれました。どうやら太子町民は、見知らぬ相手でも気軽に声を掛けるようですね(笑)。
なお、最寄りのバス停は推古天皇陵と同じ御陵前バス停ですが、距離はかなり離れています。
桜の名所にもなっている小野妹子墓
太子町散策のコツ
今回を含み、太子町をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。”近つ飛鳥”と呼ばれるこの地区は、奈良の飛鳥地方に決して劣らない、史跡の宝庫だということがおわかりになったと思います。また、観光地化されていないのが却って魅力でしょう。
ただ、路線バスの本数が少ないので、公共交通機関利用の場合はやや不便です。車利用の方は、国道166号線沿いにある「道の駅・近つ飛鳥の里・太子」を拠点として散策するのがいいでしょう。丘を歩くことが多いため、ハイキングのような動きやすい服装をお勧めします。
道の駅・近つ飛鳥の里・太子
また、喜志駅や近鉄南大阪線の上ノ太子駅にあるレンタサイクルを利用するのも一法です。起伏が激しいので、電動アシスト自転車があればそちらをお勧めします。
そして、太子町内の史跡を1日で周るのはしんどいので、太子温泉に宿泊して観光するのもいいでしょう。太子町のシンボルである二上山は死火山で、温泉が湧いています。おそらく、聖徳太子は政治の激務を二上山の温泉で癒していたのでしょう。
上ノ太子駅や、近鉄大阪線の河内国分駅から無料送迎バスが出ています。もちろん、日帰り温泉や料理も楽しめるので、そちらもご利用ください。
太子町近辺はブドウの名産地で、ワインが特産品なので、太子温泉で汗を流した後には一杯やりましょう。もちろん、ブドウやワインはお土産にも最適です。
太子温泉
これまでご紹介した太子町の史跡
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叡福寺(聖徳太子の墓所)
西方院
用明天皇陵、孝徳天皇陵、竹内街道歴史資料館
竹内街道
二上山
推古天皇陵、小野妹子墓
2017年4月21日