リレー徘徊57:池田市彫刻の道を行く6〜観光街歩き城跡編
今回は池田山公園山麓部の観光街歩きをしながら麓の街へ降り下って行こうと思います。時代劇のワンシーンのような参道や再現された戦国時代の城のエリアと実業家・小林十三氏の文化的なコレクションのエリアに分けてご案内します。まずは時代劇エリアをば〜
Index
大廣寺
体育館の北側の山の斜面にある曹洞宗のお寺です。山号は塩増山。本尊は釈迦如来で、池田城主の池田氏や小林十三夫婦の墓がある牡丹の名所です。
山麓道から車道に入り左への分かれ道を行くと石段、登りつめると山門が見えてきます。この石段の参道、時代劇に出てくるシーンを想起させる雰囲気、今にも池田城の侍が出て来る感じがします。
山門前から参道を見下ろします
白龍の鏝絵(こてえ)
山門をくぐると回れ右!山門を見てください、白龍の鏝絵です。鏝絵とは左官職人が壁を塗る時に使う「鏝」を使って作る立体の造形物で、鶴や朝日、恵比寿などがよく見られます。
振り返ると白龍を正面から見ることができます
夜な夜な水を飲みに出た白龍
上の立ち位置からズームアップ〜この白龍が毎夜、弁天池の水を飲みにいくので和尚が困ってしまい、目の玉を白く塗りつぶせば飲みに行かなくなるだろうと目玉を塗りつぶしたら飲みに行かなくなったという言い伝えがあるそうです。
真下から見ると立体感がよくわかります
夜な夜な水を〜の言い伝えが出るほどの出来映えですね。
角度を変えて〜中々凝った造りです
そんな言い伝えがあるので、今でも注連縄が張ってあるんでしょうね
血天井のある本堂
寺伝によれば、大廣寺は応永2年(1395年)に池田城主の池田充正が創建、以後、池田氏の菩提寺となり、氏が寄進したと言われる梵鐘も今もあるとか。玄関の天井は「血天井」と呼ばれ、永正4年(1507年)の室町幕府管領家の家督相続争い「両細川の乱」の時に細川澄元に味方した6代城主の池田貞正が細川高国によって攻められて池田城が落城、そして&切腹、その時の血がついた板が張られているとか〜おぞましい話ですね。
ムンクの叫び像?
残念ながら血天井のある本堂内を見ることができませんでしたが、脇奥になにやら沢山の顔が彫られた像があります。
近づいて観るも題名も説明もなく???
池田城跡(無料・毎火曜日休園)
大廣寺を後に体育館の橋を渡りしばらく下ると右手に池田城への入り口が見えてきます。入ってすぐ橋を渡りますが、これは今も残る空堀です。この深さ、簡単に攻め入れる高さでないですね。
空堀は遊歩道になっています
番外作品:てるてる坊主の照子さん
門を入ると目の前に石彫のオブジェ、なんだろなと見ると「てるてる坊主のオブジェ」でした。このオブジェは、作家・作詞家・なかにし礼氏が、彼の妻とその家族をモデルにして戦後の池田市栄町商店街を舞台に書いた小説「てるてる坊主の照子さん」を原作にNHKが2003年に連続テレビ小説『てるてる家族』として放映、その記念に設置されたそうで、お城とは全く縁がない作品でした。
城内
場内は一応作庭されてまして、再現された天守閣以外に池や枯山水、茶室まであります。この庭、6月には百合が満開になるそうです。場内真ん中にある礎石がもともとの本丸のあった位置だそうです。
北のはずれに茶室もあります
天守閣モドキ
本来の本丸遺構は庭の中央にあり、再建された位置ではなく、造りも違ったようで、いわば天守閣スタイルの天展望台、登ると眺め抜群であります。池田城は、建武元年(1334年)前後に土着豪族池田教依が築いたそうです。戦国時代に織田信長に攻められて落城したり、「池田21人衆」の1人として頭角 を現し荒木 村重(あらき むらしげ)にクーデターを起こされて乗っ取られ最後は織田信長に謀反を起こして落城&廃城になったそうです。
庭を眺めます
猪名川方面の眺めです
城の直下路地
池田城の南側に階段状の路地があって、街中へ向かうならこの狭い階段小径がお勧めですよ。
降りきると、石仏と愛宕山が祀ってありました
振り返ると池田城が〜
次回は、阪急電鉄のカリスマ創業者・小林十三氏関連施設をご紹介します。
2017年5月17日