明治の元勲、文豪のお墓と住宅街にあるオシャレな洋館をめぐる旅 東京・護国寺、雑司ヶ谷周辺を歩く

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学生数1位と2位の大学の創立者のお墓があるお寺

本日も池袋周辺を歩きます。スタートは、文京区大塚にある護国寺。ここは都内でも有数の巨大寺院ですね。それもそのはずで、真言宗豊山派の大本山であり、江戸時代、五代将軍徳川綱吉が、生母桂昌院の願いにより創建した由緒正しきお寺であります。まずは不忍通り沿いに立つ仁王門。

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江戸時代半ばに作られたそうで、区指定有形文化財ですか。立派な水盤は、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院から寄進されたものらしい。

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石段を上って不老門を抜けると、目に飛び込んでくるのが大仏様。

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像高2.5メートルだそうなので、それほど大きくはありませんが、柔和な微笑は存在感がありました。やはり、明るい笑顔は注目を集めますね。境内には、元禄時代の本堂や昭和3年に移築された月光殿などがあり、ともに国の重要文化財に指定されているそうな。

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ほかにも、この寺の注目すべきポイントは、日本史の教科書にも載っている明治の元勲のお墓があることですな。まずは本堂の右隣にある山県有朋のお墓。

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松下村塾出身で陸軍元帥、総理大臣などを歴任した超大物ですが、司馬遼太郎などの小説ではあまり良く書かれていない記憶があります。有朋のお墓の隣にあるのが、大隈重信のお墓。

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元総理大臣というよりも、現代では早稲田大学の創立者としてのほうが有名かも。それにしても、生前はライバル関係にあり、あまり仲が良くなかったと噂される二人が無くなった後にお隣さん同士というのもなぜか興味深い。

生前は、長州閥の重鎮・山県有朋のほうが、羽振りが良かったはずですが、今のお墓の雰囲気はちょっと元気がないような気もしました。それに比べて大隈重信のお墓は鳥居や数多くの灯篭が建っていて、勢いを感じましたね。 元帥や総理大臣としての格よりも、現代まで続く私立学校を創立したのがその差に表れているような気がしました。

もっとも、両者のお葬式のときも、大隈が日比谷公園で30万人の一般市民が集まった「国民葬」であったのに対し、山県の葬式は「国葬」なのに、政府関係者以外は人影もまばらだったそうですが…。

本堂の右奥には、明治政府で太政大臣を務めた三条実美のお墓もあって、イメージ通りひっそりと佇んでおりました。

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本堂の左奥には、知る人ぞ知る初代司法大臣の山田顕義のお墓も。

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戦略の天才で小ナポレオンとも言われた人物ですが、日本大学の創立者といったほうが 馴染みがあるかもしれませぬ。それにしても、我が国の学生数1位と2位の大学の創立者のお墓があるなんて、護国寺は侮れませんね。

住宅街にひっそり佇む瀟洒な洋館

護国寺を出て、不忍通りから清土鬼子母神の境内を通り、地図を見ながら住宅街の路地をクネクネ曲がって歩いていくと、緑に囲まれた洋館を見ることができます。

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写真の瀟洒な建物は、雑司が谷旧宣教師館。この洋館は、明治40年にアメリカ人宣教師ジョン・ムーディー・マッケーレブが自らの居宅として建てたものです。うれしいことに、無料で見学できるのですよ。豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築で、東京都指定の有形文化財でもあるそうな。マッケーレブは、昭和16年に帰国するまでの34年間を、この家で生活をしたそうですね。

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木造二階建て。壁は白く塗られ、窓枠の緑がなかなか良い味を出しています。一階には食堂や居間、教会の事務室などがあるのですが、マントルピースをそれぞれの部屋で、共同で利用しているのはエコだなぁと感じました。

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天井の格子には割れ竹を用いるなど、和洋折衷なのも面白い。そういえば、明治学院にあった宣教師館の天井も竹が用いられていましたね。竹は、外国人好みの素材なのかもしれませぬ。二階には、マッケーレブが愛用していたというベッドが展示されていました。

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何でも、このベッドは日本とアメリカの間を何度も往復したらしい。よく枕が変わると眠れない人がいますが、よっぽど寝心地のいいベッドなのだろうと思いました。

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それにしても、窓が大きくてたくさんあって、内部は本当に明るい。当時は浴室として利用されていた二階の部屋が、情報詮索コーナーとして閲覧室のように利用されていました。

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そこの椅子に座って外を眺めると、緑豊かな雑司ケ谷の住宅街を一望することができます。 こんなところで暮らしたり、仕事ができたりしたら最高でしょうね。

夏目漱石、小泉八雲、泉鏡花、永井荷風…文豪のお墓がいっぱいの雑司ケ谷霊園

雑司ケ谷旧宣教師館のすぐ近くにあるのが、雑司ケ谷霊園。

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この霊園は明治7年に東京府が開設し、広さは約10万平方メートル。ケヤキやイチョウの古木が至る所に茂る、広々とした公園墓地になっています。 護国寺の墓地は、明治の多くの元勲が眠っていますが、こちらは有名な作家などの文化人のお墓が多いですね。都営墓地なので、特定の宗教に偏らないためか、十字架やさまざまな形の墓石など被葬者の個性を感じることができます。

雑司ケ谷霊園でもっとも有名なお墓といえば、やはり夏目漱石でしょうね。

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私も一頃、漱石にはまった時期があって、ほとんどの小説を読みました。現代でも読まれている数少ない明治・大正期の作家ですが、今読んでもまったく古さを感じない。むしろ昔の人は、相当考えながら人生を送っていたのだと思い知らされます。

一番好きと言うか、驚いた作品は「草枕」。これは純文学でありながら、一級のエンタテイメントでありミステリー小説ですね。明治期の他の作家の作品と比べて、こんな斬新な小説をよく書けたなと思いました。

漱石先生は一体、どんな頭の構造をしているのだろうと…。そしたら、実際に漱石の脳みそを見る機会があったのですよ。それは、東京大学の総合研究博物館。脳は、エタノールに漬けられた状態で展示されていました。個人的に脳みそを見る機会はそれほどありませんが、とくに目立った特徴はありませんでしたね。それにしても、たったの1,425グラムの組織から、あんな深遠な世界を紡ぎだせるのだから、人間はすごいです。

雑司ケ谷霊園には、ほかにも怪談で有名な「小泉八雲」、そして明治から昭和にかけて活躍した小説家の「泉鏡花」などのお墓があります。

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永井荷風は、希代の変人作家として有名だと聞いた記憶がありますが、お墓はあまりにも普通。人は、性格はもちろん、自分の作品とか、自宅とかにはかなり個性が現れますが、意外とお墓は突飛なデザインのものは少ないのですね。

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現代の奇人と言われるお金持ちは、是非、巨大なピラミッドとか、前方後円墳を作って驚かせてほしいと思いました。

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2015年12月24日

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