明治の元勲からも愛された江戸時代の絶景スポット・金沢八景 神奈川県横浜市を歩く

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横浜市内で唯一の海水浴場がある「海の公園」

本日も金沢文庫周辺を歩きます。金沢文庫から住宅地をテクテク歩き、次に向かったのは「海の公園」。

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ここは横浜市内で唯一、海水浴場のある公園だそうですね。ちなみに、この砂浜は埋め立て事業の一環として整備された人工のもので、砂は千葉から運んだらしい。潮干狩りも可能で、アサリやマテガイなどが採れるとか。

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行った日は、1キロにも及ぶ白い浜辺でビーチバレーをしているグループがおりました。個人的には、「おれは男だ!」の森田健作みたいに、剣道着を着て竹刀で素振りをしながら走りたくなる風景ですね。でも実際走ったら、靴の中に砂が入って大変なことに…。

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途中から、海を見ながら整備された遊歩道を歩きました。やはり海辺には松林が似合いますな。

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しばらく歩くと、沖でボードセーリングをしたりしている人を多く見かけました。結構、肌寒い日だったのですが、好きな人は気温とか関係ないのですね。

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砂浜から岬のように海に張りだしている場所があるので行ってみることにします。

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こちらにも遊歩道が設けられていて、眺望がすばらしい。目の前には、八景島シーパラダイスの三角屋根やジェットコースターが…。絶叫マシンはパスしますが、水族館はいつか行ってみようと思いました。

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それにしても、さっきからおいしそうな匂いがしていると思ったら、ここはバーベキュー場ではないですか。海が見える場所で、木々に囲まれバーベキューをしたら食欲も倍返しになりそう。

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ただ、上空にはトンビが虎視眈々と食べ物を狙っているようでした。やはり大人数で出かけて一気に食べてしまうのがいいようで…。

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明治の元勲の別荘がある野島

海の公園を出て、上に金沢シーサイドラインの高架が走る金沢海岸通りを南下します。道が右へ急カーブする場所で、海を隔てて目の前に小高い丘が見えました。

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これは野島で、かつて独立した孤島であったらしい。野島運河にかかる野島橋を渡って、野島に足を踏み入れます。船宿が建ち並んでいて何となく島の雰囲気が感じられますね。

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海沿いの道を歩いて、野島公園へと向かいます。ここでも、トンビが上空を席巻していますな。弁当を広げて食べたら、敵機の来襲で大変かもしれませぬ。

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実はここは数年前にも来た場所ですが、初めて見る茅葺の立派な建物がありました。

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近くに行ってみると、「旧伊藤博文金沢別邸」という表示が…。そういえば前回来たとき、公園の造成工事が行われていましたね。木造の巨大な建物のまわりに足場が組まれていて、完成したら是非来たいと思ったのでした。

伊藤博文とは、旧千円札でもよく知られる初代内閣総理大臣。彼が明治31年に建てた別荘を復元したのですな。平成20年6月より工事に着手し、平成21年10月31日に庭園整備・復元工事が完成して一般公開されたらしい。

明治時代、この近くは東京近郊の海辺の別荘地として注目され、多くの有名人が別邸を設けたそうなんですよ。たとえば、総理大臣の松方正義や外務大臣などを務めた井上馨、日本画の川合玉堂など。

この別邸の注目すべきポイントは、大日本帝国憲法ゆかりの場所ということですね。実は、ここのほかにも近くの夏島という場所に別邸を建てたそうですが、憲法の草案作りが進められた場所として知られておりまする。

野島の別邸でも、当時、憲法草案の審議が行われていた赤坂仮皇居御会食所をここに移築する計画が立てられていたとか。もし実現していたら、我が国初めての憲法が作られた場所になっていたかもしれませぬ。

入館料が無料ということで、喜び勇んで見学します。まずは調理場から。

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解説板には、来客時は店屋物を頼んでいた機会が多かったと書かれていました。また、伊藤博文の朝食は梅干しと茶漬け、夜は粥を多く食していたそうですね。68歳で暗殺されなければ、かなりの長寿になったでしょうから、この粗食が健康には良かったのかもしれないと思いました。

この板の間なんて、昭和の家にもありましたね。

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客間からは東京湾の絶景を眺めることができます。ガラスがゆがんでいたので、当時のガラスを使ったのでしょうか。

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そして同じく客間には、伊藤博文の書がしたためられた屏風もあります。「常に天皇への忠義を忘れずに、国の為に至誠を貫こうとする博文の気持ちをよく表している」と解説板にありますが、字がうまいな~という感想のみ。

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司馬遼太郎の本では、意外と伊藤博文の評価は高くないですが、やはりこれだけの書を後世に残すのですから偉大な人だったのですね。いつも速記みたいな字を書いている自分が恥ずかしくなりました。

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客間に比べて意外と質素なのが、伊藤博文が寝室や書斎として使った居間棟。やはり、広すぎず、立派過ぎないスペースのほうが落ち着きますな。

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それに対してゴージャスなのがお風呂場。

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この広さは、個人の別荘のレベルを超越し、旅館の風呂としても納得できそう。浴槽が二つもあるのでしょうかね。

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外へ出て、海側から別邸を眺めてみようと思いました。石灯籠が並ぶ塀も当時の形を再現したものらしい。夜、これら全部に火が入れられると見事だったでしょうね。

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もっとも、当時は護岸工事がなされておらず、砂浜が続いていたそうですが…。

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外観は豪華なイメージはありませんが、伊藤博文は激動の人生のなかで一服の清涼剤をこの静かな別邸に求めたのかもしれませぬ。

野島公園にはUFOみたいな展望台がある

旧伊藤博文金沢別邸を出て、野島公園の展望台を目指して急坂を上って行きます。木々の間から東京湾の景色が次第に広がって行くのがわかります。景色に見とれて上って行くから、あまり疲れを感じませんでした。

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海抜57メートルの頂上には立派な展望台が。なんか、UFOの秘密基地に見えなくもない。

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もうひと踏ん張りと、展望台を上ると、360度の大パノラマが広がっておりました。そこからは八景島シーパラダイスが手に取るように眺めることができましたね。

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もう少し天気が良ければ、丹沢や富士山、房総半島も眺めることができるそうなのですが…。ちょっと今日は残念。

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下に降りて広場を歩くと、何やら解説板が…。ほほう、野島には貝塚もあるのですな。縄文時代早期の遺跡で、市内最古の貝塚だそうです。

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近くからは、日産自動車のテストコースを眺めることもできます。ずっと昔に来たときは、覆面をした車が走っているのを見たことがあります。未発表の車種の改良を行っているので、企業秘密なのだろうと思った記憶があります。

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江戸時代の景勝地・金沢八景

頂上広場には、野島の夕映の石碑が…。

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そういえば、この辺りは江戸時代、金沢八景と呼ばれる景勝地だったのでした。当時は、風光明媚な入り江が続いていたそうです。近江八景とか有名ですが、景勝地が八か所もあったというのだからすごいですな。

現在は、干拓や埋め立てとか行われて、景観が大きく変わってしまいました。ここ野島周辺では、野島夕照(のじま の せきしょう)と言って、野島夕照橋付近から野島と夕日のコラボの絶景が楽しめたそうです。

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…ということで、帰りは夕照橋付近から夕日と野島を眺めようと思ったのでした。夕照橋はコンクリートの橋に変わっていましたが、当時の雰囲気を残そうと努力は感じますね。ただ、曇りで残念ながら夕日は拝めなかったのでした。でも、意外と金沢八景っぽい雰囲気は残っているかも。

平潟湾を右手に見ながら、金沢八景駅を目指します。この平潟湾もまた金沢八景のひとつなのですよ。それは、平潟落雁。

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干潟で人々が潮干狩を楽しみ、遠くには松、さらに、その奥には白帆が見え、空には列をなして飛ぶ雁が見える風景だそうです。昔は、ここで潮干狩ができたのですな。

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そう思って、海を覗き込むと、意外に水がきれいなのがわかりました。風景はともかく、水質は江戸時代に近づきつつあるのかもしれませんね。

2016年2月23日

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