日本人もはずせない、外国人に人気の東京の観光スポット・新宿御苑 東京都新宿区を歩く
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世界一の利用者数を誇る新宿駅
今回行ったのは、渋谷、池袋と並ぶ三大副都心のひとつ新宿。新宿駅の一日の利用者数は、2013年度は335万人で、世界一だそうな。ギネスにも認定されているらしいですね。
実は、東京に半世紀も住んでいながら、私は人混みが苦手なのですよ。正直、あまり行かなかった場所ですが、新宿で仕事が早めに終わったので歩いてみることにしました。
新宿は、「新しい宿」と書くように、江戸時代は甲州街道の内藤新宿として栄えました。ただ、今日のような大発展を遂げるのは関東大震災以降なのだとか。関東大震災のとき、それまで銀座や浅草などの大繁華街が大きな被害を受けたのに対し、新宿周辺は地盤が強固だったために被害が少なかったらしい。
下町から東京の西部へ引っ越しする人が増え、都心と西部地域とのアクセスの中心が新宿駅だったのも発展の大きな要因だったのですな。昭和初期には都内有数の歓楽街の一つとなり、1965年に淀橋浄水場が閉鎖されるとともに新宿副都心の開発が進みまする。西新宿に超高層ビルが作られ、都庁も移転して現在の姿になったのですか。西新宿も行ってみたいと思いましたが、今回歩くのは東新宿。こちらは内藤新宿として栄えた場所だけに史跡もいくつか残っているらしい。
都電の線路の跡に作られた四季の路
ウォーキングのスタートは、新宿駅東口。スタジオアルタで有名な新宿通りへ出て、紀伊国屋書店の手前で左折、靖国通りの信号を渡ると、大理石が敷き詰められた遊歩道がありました。
ここは、新宿遊歩道公園四季の路と呼ばれているらしい。何度も歩いたことのある道ですが、新宿の繁華街の中、なぜこんな細い道がクネクネと続いているのか不思議でした。でも、今回行ってみて、やっと謎が解決しましたね。
この道は、昭和45年3月に廃止された都電の専用軌道だったそうなんですよ。何でも、新宿駅前から中央区の水天宮前まで線路が伸びていたのだとか。その後、新宿区が東京都より譲渡を受けて整備し、昭和49年に遊歩道公園として開園したらしい。
日本橋の都電はおぼろげに覚えていますが、新宿にもしっかり都電が走っていたのですね。3丁目の夕日みたいに、当時の都電の姿をイメージしながら歩きました。3000本と言われる木々が、都会のオアシスとなっているのがわかります。 近くには、吉田類の酒場放浪記で紹介されそうな居酒屋が並ぶエリアもありました。
多くのご利益で人気の花園神社
四季の路のほど近くに、歴史のありそうな神社があります。ここは、新宿の総鎮守と言われる花園神社。江戸時代、内藤新宿が開かれて以来から街の守り神となっているらしい。創建の時期は不明らしいですが、家康が江戸に入った時代からすでにあったそうですね。
行った日は1月の中旬でしたが、お参りの行列ができる人気でした。並んでいる人たちも、若い女性のグループからカップル、ビジネスマンなど多岐にわたっています。
この神社は、昭和3年に近くにあった雷電稲荷神社、昭和40年に現在のコンクリート造りの本殿に建て替える際に大鳥神社を本殿に合祀したらしい。従って、倉稲魂命(花園神社)、日本武尊(大鳥神社)、受持神(雷電神社)の3柱の神を祀っているのですな。
一度に三人の神様にお参りするわけですから、ご利益があるのも頷けました。ご利益は開運出世、財福招来などだそうで、私も行列に並んでしっかりお参りしたのは言うまでもありませぬ。
インパクトのある像がたくさんある太宗寺
花園神社から明治通りを歩き、新宿通りの交差点のところで左折。そしてしばらく歩いた場所に、江戸六地蔵で有名な太宗寺がありました。
江戸六地蔵とは、東海道や奥州街道など江戸の出入口6箇所に丈六の地蔵菩薩坐像を造立したもの。現在も、東京の各所に5体の像が残っているそうですね。こちらの地蔵菩薩坐像は、「江戸六地蔵」の3番目、甲州街道沿いに作られたもので、高さは2.67メートル。確かに、こちらの同じ大きさの像を都内のいろいろな場所で見た記憶があります。
このお寺の創建は寺伝によれば慶長年間だそうですが、発展したのは徳川の譜代大名内藤家の菩提寺になったことでしょうね。内藤家の中屋敷が近くあったから、内藤新宿という名がつけられたように、内藤家と新宿とは深い関係があったようで。
菩提寺として、当初300坪におよぶ内藤家の歴代藩主や一族の墓地があったそうですが、その後縮小され、現在は5代目当主正勝など3基の墓石が残っておりました。
こちらのお寺は、ほかにも江戸三大閻魔に数えられる閻魔像があるのですよ。それは、このお堂のなかにあります。覗き込んでも真っ暗でよくわからないのですが、スイッチを押すと一分間だけ明かりが灯るのですな。
いきなり現れる閻魔さまに、背筋がぞわぁぁぁ~となりました。大きさは都内最大級の5.5メートルで、地獄へは死んでも行きたくないというほどの迫力でした。 江戸時代に作られたのですが、度重なる火災に巻き込まれ、当時のまま残るのは頭の部分だけなのだとか。
もっとも慣れれば、閻魔さまの顔はどことなくユーモアが感じられるのに対し、手前にある奪衣婆の像は完全にホラーの世界。真田家の家紋にも使われている「三途の川に渡し賃の六文銭」を持たずに来た亡者の着物を剥ぐのが奪衣婆らしい。
片手には亡者からはぎ取った衣を持ったその表情は、子供なら10人中8人は泣くだろうなと思うほどの恐ろしい表情。でも、奪衣婆は衣を剥ぐところから、内藤新宿の妓楼の商売神としても信仰されていたそうな。妓楼へあがって、身ぐるみ剥がれるとは奪衣婆より人間のほうが恐ろしいのではないかと考える今日この頃。
さまざまな国の庭園の魅力が味わえる新宿御苑
太宗寺から新宿通りを越えると、目の前に広大な緑の空間が広がっています。ここが有名な新宿御苑。前にも述べましたが、江戸時代に信州高遠藩内藤家の中屋敷があったこの地に、新宿御苑が誕生したのは明治39年。
当初は、皇室の庭園として造られましたが、戦後、国民公園となったのですな。広さは58.3ha、周囲3.5kmの広大な庭園内には、「日本庭園」「イギリス風庭園」「フランス式整形庭園」などがあり、樹木の数は1万本を超えるとか。桜も約1300本あり、日本さくら名所100選にも指定されているのですな。
玉川上水・内藤新宿分水の散歩道を歩き、新宿門から園内へ。ベージュの絨毯のような芝生が素晴らしい。
冬なので花はあまり期待していなかったのですが、可憐なスイセンの群落を見て心が和みました。広々とした広場では巨木も、伸び伸び枝を広げている感じですね。
新宿御苑の新旧の魅力的な建築物
以前来たときは、年代物の温室がありましたが、こちらは平成24年にリニューアルされて大きく、広くなっていました。
やっぱり冬の寒いときはあったかな温室が一番のごちそうです。植物の名前はわからなくても、自分が熱帯のジャングルにいる感覚を味わうだけで満足。ランやサボテン、季節外れの花々を堪能しました。
温室の近くにあるこの年代物の建物は、旧洋館御休所。
明治29年、天皇や皇族の休憩所として建てられたそうですね。洋風木造建築で、国の重要文化財に指定されているらしい。
最新のデザインの温室や目の前に広がるイギリス風景色庭園とも見事にマッチしていました。
旧大名庭園とフランス式庭園
大木戸休憩所の近くを通り、玉藻池へ。
この辺りは、回遊式日本庭園は、内藤家下屋敷の庭園「玉川園」なのだとか。大名庭園の格式が感じられますが、ここが新宿御苑のルーツなのですな。
玉藻池の隣にあるのが、フランス式整形庭園。冬のプラタナス並木はいい味を出しています。
中央のバラ花壇は、やはり花の時期のほうが良いようで。
フランス庭園からしばらく歩き、日本庭園のエリアへ。下の池、中の池、上の池というように水辺が続き、それぞれ景色の変化が楽しめます。
台湾風の建物とエンパイヤステートビルみたいな建物
池に沿って歩いて行くと、エキゾチックな建物が目の前に現れます。ここは、旧御涼亭、別名台湾閣。後の昭和天皇が皇太子時代の御成婚記念として建てられたものらしい。
どうして中国風の建築物があるの?と思ったのですが、昭和2年、台湾在住邦人の有志から贈られたものだそうですね。
台湾から取り寄せた部材が多く使われているそうで、そこから見た日本庭園の景色は格別でした。日本庭園の景観とも見事にマッチしていますな。
それにしても、さっきから見えているエンパイヤステートビルみたいな建物は何?と思って調べてみたら、NTTドコモの代々木ビルというのですか。
台湾風の建物もよかったけれど、日本庭園とエンパイヤステートビルみたいな建物とのコラボも悪くないと感じたのでした。
2016年3月9日