枚方は昔貴族たちの狩場だった!白雉の里~御狩野神社

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日本全国どこにいっても神社がありますが、神社の面白いところは、その土地土地に根付いた色んな言い伝えがわかることにありますよね。今回ご紹介するのは枚方にある御狩野(みかりの)神社です。

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御狩野神社一帯は昔貴族たちの狩場だった

御狩野神社は枚方市の禁野(きんや)本町にあります。枚方市民病院の方にあります。道路脇から急な石段が見えるのですが、その上にあります。今はこのあたり一帯、工事をしているので見つかりにくいかもしれないので、見逃さないように気を付けましょう。交通アクセスは京阪バスの枚方市民病院行きでも行けますが、駅から歩いても10分もかからないので、お散歩がてら歩いていくのもいいでしょう。

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御狩野神社の御祭神はオオサザキ命(仁徳天皇)、スサノオ命、百済王です。

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さて、この御狩野神社、なぜこのような名前がついたのでしょうか。それは実はこのあたり一帯が平安時代、貴族たちの狩場となっていたからです。当時、このあたり一帯から交野(かたの)市のあたりまでの台地一帯は水田に適さない土地だったようで、開墾していなかったため、鳥や獣がたくさん棲みついていたそうです。場所がら、京都からも近かったので桓武天皇をはじめ、多くの平安貴族の鷹狩りの場として栄えたようです。だから、「狩野」という文字が入れられるようになったんですね。

ちなみに、御狩野神社は禁野にあるのですが、「禁野」という文字も、「ここは天皇だけの狩場で庶民の狩りを禁じていた」という歴史から「禁野」という文字がついたようですよ。ここが狩場だったなんて、今の枚方の街並みからは想像もつきませんね。

白雉のいわれ~白雉の霊を祀る雉大明神の神祠

それではさっそく御狩野神社を参拝していきましょう。真っ白なすっきりとした神社です。こちらの神社では白雉の霊を祀っているといわれています。ここで白雉が死んでいたのを埋めたといういわれなどにも基づいているようです。このあたりでは、白雉はよく目にしていた鳥のようで、このあたりに伝わる民話もまた白雉が出てくるんです。

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このあたりに甲斐田(かいだ)というところがあるのですが、「甲斐田長者の嫁」という民話が残っています。

お話は甲斐田の村の長者が摂津の村から嫁をもらうことに始まります。ところがこの嫁は、何を聞いても「はい」と「いいえ」しか答えません。これだと長者の嫁としてはつとまりませんから、実家に帰そうと思いました。実家に帰す道すがら、白雉が「ケーンケーン」と鳴いていました。それを聞いた長者はさすが狩野、その白雉をその場で狩ります。うまく仕留めたのですが、それをみた嫁はいきなり泣き出しました。そして、「もの言わじ父は長江の人柱 雉も鳴かずば射られまじものを」と歌を詠んだんですね。

びっくりした長者は話を聞いてみたところ、実はこの嫁、物を言わないのはその生い立ちに秘密があったのです。この嫁のお父さんは長柄川の氾濫を食い止める工事の責任者の命を受けていたのですが、長柄川は川幅が広すぎてなかなか工事がうまくいきませんでした。どうしたものやらと思っていたところ、人柱を立てたらいいという提案が出ました。ですが人柱は生きたまま人が川底に沈められるという残酷な儀式なので、誰に白羽の矢を当てていいのかわかりません。そこで嫁のお父さんは「次にここを通った人で袴にあてつぎをしている人にしよう」と適当なことをいったんですね。

ところが、なんとその袴にあてつぎをしていたのはそれをいったお父さんだったんです。お父さんは自分の袴にあてつぎをしていることを知らなかったのでした。結局、お父さんが責任者であり、言い出した張本人ということで、人柱になって死んでしまいました。それを悲しんだお母さんは娘にはよけいなことを言わないように育てたということです。だから、嫁は何もよけいなことを話さないようになってしまったのですね。

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この地では、かつて白雉が生活の様々なシーンで登場したのでしょうね。御狩野神社からこのあたり一帯のいにしえの歴史を知ることができました。皆さんもぜひそんな歴史を実際に紐解いてみてください。

2016年4月5日

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