東京奥多摩の地底ラビリンス!「日原鍾乳洞」は神秘と幻想の世界
東京に鍾乳洞があるのをご存じですか。
それは関東随一の規模とも云われる『日原鍾乳洞』で、東京の西部、西多摩郡奥多摩町日原にあります。現在は東京都の天然記念物に指定され、多くの観光客が訪れる観光地です。
神秘と幻想の世界に飛び込みましょう。
山岳信仰のメッカ
この奥多摩の地は、室町時代の1492年に原島丹次郎兄弟が奥多摩に落ち延びて土着し、兄が”日原”を、弟の丹三郎が”丹三郎””小丹波”を開拓したと云われています。その中の『日原鍾乳洞』は、鍾乳洞のある山を”一石山大権現”として御神体とする山岳信仰の地でした。
この山岳信仰の一石山大権現の開創は不詳ですが、丹次郎の孫、右源太友兼が一石山大権現に仕える社家の役割を担ったとの記録が残っています。その後、丹次郎の子孫が代々一石山神社の社家を務めており、江戸時代には上野寛永寺の末寺でしたが、明治の廃仏毀釈で神社となったのです。
現在は、日原鍾乳洞の近くに一石山神社が鎮座しています。
神秘のラビリンス
一石山神社の近くに地底へのラビリンスの入り口があります。年間を通じて11℃という洞内ですので、夏はひんやり涼しく、冬はほっこり暖かいのです。渓谷美を織りなす日原川支流の小川谷が、ラビリンスへの期待を膨らませます。
全長800mほどに及ぶ洞内は、弘法大師が修行を行ったとされる空洞の残る”旧洞”と、昭和37年に奇跡的に発見された”新洞”で構成されています。こうした名残から鍾乳洞を仏堂に見立て、鍾乳石や石柱などを仏像におきかえ洞内の各所に呼び名が付けられています。
神秘の空間、地底のラビリンスへの旅立ちです。
神秘の音に耳を澄ませよう
慣れないうちは狭くて暗い空間に圧迫感を覚えるでしょうが、所々明るい通路を通り始めると概ね楽に歩けることを実感します。
そして最初の見所である『弘法大師の学問所』に辿り着きます。ここは弘法大師の修行の場と伝えられる空間で、中央に”硯の水の遺跡”、右側が”護摩壇”と呼ばれているところです。
そしてここで聞き逃さないで頂きたいのが左手にある水琴窟。水琴窟自体は特に珍しいものではありませんが、洞内で聞く水琴窟の音は、まさに菩薩の奏でる音色の様に外では味わえない幽玄の響きなのです。
死への旅立ち
弘法大師の学問所から《地獄谷》を進み《三途の川》を渡ると非常に広い空間にでます。
巨大な空間の先に見える天国への階段と、ライトアップされた煌びやかな岩肌が、この世の楽園かと思えば、実は死への旅立ちの場所である『死出の山』なのです。
階段を上がるとグルッと輪を描くように進みます。
《十三仏の掛け軸》《さいの河原》といった”あの世の演出”が続きますが、何を血迷ったか、次が《縁結び観音》となります。
若干の拍子抜け感はあるものの、昨今の縁結びブームと合いまったお馴染のご利益です。何はともあれ、死出の山に相応しいクライマックスです。
鍾乳洞らしい新しい空間
死出の山を戻ると、ここからは後半です。
ガマの形をした《ガマ岩》を横目に来た通路を戻ると、途中からグッと下りの階段となります。ここからが新洞で、旧洞と比べかなり高低差が激しく急な階段も多くなります。
こちらは鍾乳洞らしい自然の光景を目の当たりにでき、それらに宗教的な名前が付けられた鍾乳洞の展示室の様です。
《世紀の断層》《獅子岩》《竜王の間》を通った先にあるのが《白衣観音》。
鍾乳洞ではおなじみの石筍と呼ばれる、床の上に生じたたけのこ状の沈殿物が多く見られる場所で、その内の一番大きい石筍を観音様に見立てているのです。更に2m50cmある細長い石筍は《金剛杖》と呼んでいます
この後、階段が上りになるとかなりきついのですが、新胴を抜けるまで頑張りましょう。そして旧洞に戻って、およそ40~50分の地底探検が終了です。
2016年7月11日