意外とすごい品川の歴史・文化にまつわる観光スポットを巡る旅 東京都品川区
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小粒でもバラエティに富む品川区の観光スポット
今回行ったのは、私が生まれてからずっと住んでいる東京都品川区。
いろいろな場所をほっつき歩いていますが、品川区は他の観光地に勝るとも劣らない観光スポットがあると実感しています。特に、かつての旧東海道が走っていた東部には面白い場所があるような。小粒ですが、バラエティに富んでいると言いますか。
…ということで、今回は、知る人ぞ知る品川の観光スポットを原住民がご紹介しようか、と。
ただ、個人的には、品川区の端っこに住んでいるのでいつもはあまり行かない場所なのでした。今回行ったのは、五年ぶりくらいかもしれませぬ。
ウォーキングのスタートは、JRと東急線が乗り入れる大井町駅。
この辺りも、昔から比べると随分変わりましたね。昔はもっとゴチャゴチャしていたイメージですが、最近の再開発ですっきりオシャレな街になったような。
駅前から、かつて「時代屋の女房」で有名になった大井三ツ又の交差点を過ぎ、池上通りを南下します。大井警察署入口の信号付近で、最近、テレビ番組で取り上げられて話題になったスポットがあったことを思い出しました。
日曜ビッグバラエティで注目を集めた滝王子稲荷神社の池
それは、滝王子稲荷神社。
正確には、お稲荷様ではなく、境内の池ですが…。
番組のタイトルは、テレビ東京の「日曜ビッグバラエティ 緊急SOS危険生物から日本を守れ!池の水を全部抜いて全滅大作戦」。タイトル通り、池の水を抜いて外来生物を見つけて除去するという内容でした。出演者の田村淳が、ハシゴから池に落ちて濡れてしまったシーンが印象的でしたね。
濁った水がどれくらい綺麗になったか、見たいと思ったのですよ。それで行ってみると、池はこんな感じでした。
思ったより透き通ってはいませんでしたが、テレビでは、この中に、ミシシッピアカミミガメなど、30匹を超える亀がいたと放送していました。しかも、体長約60cmの巨大スッポンまで。
こんな小さな池に、巨大生物が生息していた事実に驚きです。個人的には、池よりも品川区の天然記念物に指定されているというタブの巨木が印象的でしたが…。
江戸時代の品川のジオラマが興味深い品川歴史館
再び池上通りに戻ると、特徴的な建物が目の前に現れました。これは、品川歴史館。
その名の通り、品川区の文化と歴史を紹介する歴史博物館ですな。
ホームページによれば、常設展示として、大森貝塚や東海道品川宿を中心に、原始・古代から近現代の品川の歴史をわかりやすく展示しているとありました。
開館したのが昭和60年。その頃から、リニューアルされるたびに訪れています。今回で3回目の来館でしたが、前回とかなり変わった印象でした。
展示室が品川の旅籠みたいな雰囲気になっていたのは面白かったですね。
特に、興味深かったのが江戸時代の品川のあったさまざまな施設のジオラマ。これは、東海道の品川本陣。
こちらは、現在、戸越公園になっている細川家の下屋敷ですか。土地勘があって、現在の姿を知っているので、当時の様子をリアルにイメージすることができました。
そしてこれは、現在、御殿山になっている徳川家の品川御殿。品川神社や東海寺は、現在も同じ場所にありますが、周辺の景観は様変わりしているのがよくわかります。
品川歴史館のもう一つの目玉は、庭園でしょうね。
この場所は、元は安田財閥系の安田善助の邸宅があったらしい。その後、今話題の電通の社長だった吉田秀雄の記念館があったのだとか。当時の茶室と庭園の大部分がそのままの形で残っているのですな。
その昭和初期に建てられた茶室が「松滴庵」。
開館当時から歴史館の名物になっていた水琴窟も残っていましたよ。
江戸郊外三大相撲の一つとなっていた鹿島神社
品川歴史館を出て、池上通りを少し歩くと左手にあるのが鹿島神社。
鹿島と言えば、鹿島アントラーズ。その本拠地は、茨城県鹿嶋市。鹿嶋市と言えば鹿島神宮。…という三段論法?によって導き出された鹿島神宮との関連ですが、事実、この神社は千年以上前、鹿島神宮から分霊を勧請したことに始まるらしい。
明治時代は、大井村の村社・総鎮守と位置づけられ、その後、敷地内に普通小学校が開校、現在の品川区立大井第一小学校のルーツとなっているとか。
この神社の祭礼として、古くから相撲が奉納されているそうですね。なんと、渋谷氷川神社や世田谷八幡宮とともに江戸郊外三大相撲の一つとされていたのだとか。江戸時代も相撲フィーバーがあったようなので、この神社も多くの江戸っ子が集まったのでしょうか。
そういえば、渋谷氷川神社と世田谷八幡宮は両方とも行ったことがありますが、今も土俵が残っていた記憶があります。
でも、ここの境内には土俵が見当たりませんでした。是非、作ってほしいと思いますが。
本殿の横にあるタブの木は風格があり、横綱の土俵入りをイメージできました。
日本考古学発祥の地と言われる大森貝塚
さらに池上通りを南下すると、左手に特徴的な景観の公園が現れました。
門の壁は土器をイメージしたものでしょうね。ここは、品川区立大森貝塚遺跡庭園。
品川区と大田区の境の場所にあり、地名は大井ですが、貝塚のネーミングになった大森は大田区に属するのですな。
貝塚とは、一口に言うと昔のゴミ捨て場。ただ、昔なのでプラスチックや空き缶、空き瓶などはありませぬ。昔の人は、食べた貝の貝殻や動物の骨、壊れた土器などを捨てたのでしょうね。それを調べることで、当時の人たちの生活がわかるということで、考古学的には大変貴重なものなのですな。
忘れていけないのは、この大森貝塚が、日本初の学術的な発掘が行われた場所ということ。このことから大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれているらしい。
大森貝塚の存在を発見したのは、アメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モース博士。彼が、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝層を発見したというエピソードは有名ですね。
ところが、モース博士が発見し、発掘を行った場所がどこか、長く議論が行われていたそうなのですよ。
場所はちょうど、品川区と大田区の境界。日本考古学発祥の地の栄誉ですからね。品川区と大田区、それぞれに貝塚の記念碑があり、うちこそ大森貝塚のあった場所と陣取り合戦が行われたそうな。その場所はあとで述べるとして、遺跡公園の中へ。
以前から、この洞窟みたいなモニュメントは何だろうと思っていたのですよ。
これは貝塚の貝層を表しているのですか。縄文時代と石器時代を錯誤していたのでした。
広場から噴き出すミストと貝塚との関連は何かと考えたら、頭が痛くなってきそう。
これは、霧の彼方に浮かぶ縄文時代をイメージしたのではないかと勝手に解釈してしまいます。
庭園には、モースの銅像や貝塚の記念碑などもありました。
庭園の下は崖になっていて、JR線がひっきりなしに走っています。モース博士はこれらの崖から覗く貝層を見つけたのでしょうね。
さて、当時発見された貝塚の場所ですが、結論は、我が品川区に軍配が上がったのでした。何でも、発掘した当時、地主に発掘補償金を支払った文書がのちに発見されたとの事。その場所が、現在の品川区大井6丁目に当たることがわかったのですよ。
考古学発祥の区に住んでいるのはうれしいですが、できれば日本の城郭発祥の地に住みたいと思う今日この頃でした。
2017年5月31日