音楽、演劇、文学、イスラムなど様々な文化に出会える街 東京・代々木上原から下北沢周辺を歩く
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偉大な作曲家のプライベートに触れられる古賀政男音楽博物館
今回は、渋谷区の代々木上原から世田谷区の下北沢周辺を歩きます。さまざまな文化に触れて、脳みそをリフレッシュできるコースですよ。ウォーキングのスタートは、東京メトロ千代田線代々木上原駅。地下鉄の出口から井の頭通りに出るとシルバーメタリックに輝く近代的な建物が目に入ります。
ここが、古賀政男音楽博物館。私たちより上の世代は、古賀メロディーと言えばいくつかの歌をイメージできますが、今の若い人たちはどうなのでしょうね。そもそも、古賀政男を知らない人も多いかもしれませぬ。
古賀政男は、昭和歌謡史に残るさまざまな流行歌を生み出した作曲家。代々木上原は、古賀政男が昭和13年に移り住んだ街だそうです。代表曲としては、「影を慕いて」「東京ラプソディ」「酒は涙か溜息か」「湯の町エレジー」「柔」「悲しい酒」などがありますね。そういえば、キムタクが車を運転しながら歌うコマーシャルでも使われている「丘を越えて」も、古賀政男の作曲ですよ。
博物館は、もともとここにあった邸宅を一部移築再現して開館したとのこと。当時の私邸の様子の展示や生前の創作活動、普段の生活風景など興味深い展示があります。行った日は、けやきホールでミニコンサートを鑑賞することができて、お得感満載でした。
東アジアでもっとも美しいモスクと言われる東京ジャーミィ
井の頭通りを世田谷区のほうに向かって少し歩くと、いきなりエキゾチックな建物が目の前に現れます。ここは、東京ジャーミィと言い、トルコの伝統的な装飾様式と現代建築を融合させたモスク。
都内の喧騒からいきなりトルコの街中へ迷い込んでしまったような気分になりますね。細部まで手の込んだ装飾は、実際、トルコの職人によって仕上げられたとか。2000年に完成したそうで、定期的にイスラム教の講座や説話会などが開催されているらしい。
素晴らしい建物なので、是非中を見学したくなりますね。ただ、日本の寺院や神社なら、何のためらいもなく入って行けるのですが、外国の宗教施設は少し敷居が高く感じるかも。
しかし、こちらは誰でも見学が可能だそうです。ホームページによれば、予約・受付は不要で、直接1階へ行けば受付してくれるのですな。また土曜、日曜は、日本語ガイド付きの案内で14:30からの礼拝の様子を見学できるそうですよ。
ただ、注意事項もあるようで、女性の場合は、ストールかスカーフの持参や長袖・長ズボン、ロングスカート(足首まで隠れるもの)など身体の露出の少ない服装が求められています。また、女性のショートパンツやキャミソール、タンクトップ、レギンス等、男性のハーフパンツやタンクトップなどもご遠慮いただきたいそうですので念のため。
中に入ると、イスラム建築の美しさを実感できます。事実、東アジアでもっとも美しいモスクとも言われているらしい。建物の上階に礼拝堂を設け、大ドームを乗せた形は、トルコでは非常によくみられる形式だそうですね。確かに、ピカピカの白亜の殿堂は非日常感満載で、異邦人になった気分が味わえます。
撮影は禁止ですので、写真でご紹介できないのが残念。是非ご自分の目で確かめていただきたいと思いました。
地元の人たちから親しまれるお寺と神社
東京ジャーミィを堪能した後、渋谷区から世田谷区の住宅街へ入って行きます。私の前にはまたまた世田谷のラビリンス、迷宮が…。道が入り組んでいるので、すぐ方角がわからなくなります。地図を見ながら下北沢方面へと向かいました。
下北と言えば、音楽や演劇の発信地のひとつとして有名ですね。ザ・スズナリ、本多劇場など芝居の街としても知られ、多くの若者たちで賑わっていました。ただ、下北沢をテーマに歩くと1日くらい必要なので、今回は通過するだけにしておきました。
南口通りをテクテク歩いて代沢三差路を越えれば再び静かな住宅街になり、森巌寺の古い門が迎えてくれました。
森巌寺は、徳川家康の次男結城秀康の位牌所として、1608年に建立されたらしい。江戸時代には灸と針供養、そして富士講で知られ、多くの参詣者で賑わったそうですね。
境内には、江戸時代に作られた淡島堂や針塚などがありました。ちなみに、「森巌寺の針供養」は、世田谷区の指定無形民俗文化財(風俗慣習)に指定されているそうな。
森巌寺のすぐ近くにあるのが北沢八幡神社。
ここは、室町時代中期に、世田谷の守護神として当時の領主・吉良家が建てたそうですね。例大祭という御祭りは、下北沢地区の最大級の年中行事と言われ、神輿や露店などで盛り上がるそうですよ。
多くの文人墨客たちが歩いた北沢川緑道
北沢八幡神社から少し歩くと、住宅街の道路の真ん中を緑のラインが続いている。
これは、北沢川緑道ですな。北沢川緑道は、赤堤から下流の代田・代沢・池尻までの延長約4.3キロの木や草花が植えられた遊歩道。下流で烏山川と合流し、目黒川に注いでいるのですな。
東京の住宅街には公園が少ない反面、こうした昔の小川を利用した緑道を多く見かけます。水がとてもきれいで、ザリガニなども見ることができました。
流れる水は再生水を利用しているそうで、水温も比較的高いそうです。桜が植えられているゾーンが長く、お花見の季節はさぞ綺麗だろうと思いました。
歩いていると、ところどころで歌碑を見かけますね。斉藤茂吉の短歌ですか。
斉藤茂吉はこの近くの代田に住んでいて、地下足袋姿で川縁を散策し、多くの歌を多く詠んだそうです。
この北沢川緑道沿岸には、多くの文士たちが住んでいたらしい。たとえば、萩原朔太郎と娘の萩原葉子、女流俳人の中村汀女、ほかにも坂口安吾、横光利一、宇野千代など文学史の教科書に登場する人たちばかりですか。この「ふれいあいの水辺」は、『北沢川文学の小路』とも呼ばれているそうですよ。
2015年11月6日