大河ドラマの主人公「真田信繁(幸村)」縁の地!大阪の「三光神社」と「安居神社」
真田信繁(幸村)は多くのファンを持つ戦国最強と言われる武将です。豊臣側にありながら、徳川軍の猛攻に耐え、勇猛果敢に二度にわたって家康を追撃した赤備えの武将。
大河ドラマのタイトルでもある真田丸が築かれた「三光神社」と、その終焉の地「安居神社」をご紹介します。
真田信繁(幸村)について
生まれは二つの説があります。永禄10年(1567年)と永禄13年(1570年)です。そして慶長20年(1615年)に享年49歳で安居神社にて終焉となりました。
真田幸村の本当の名前は信繁となっています。後にその武勇が民衆に広がるにつれて、幸村で定着していったと考えられています。正確さを重要視し以降の記載は信繁で統一します。
信繁と言えば朱色と六連銭(六文銭)ですが、これは大阪の陣の絵図にも記されており、戦場ではかなり目立ったことでしょう。
真田山「三光神社」
大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園内にある三光神社ですが、この付近に真田丸が築かれたとされています。神社の創建は古いもので、第18代、反正天皇の時代と言われています。三光とは天照大神、月読尊、素戔嗚尊を祭神としていることから来ています。
大阪環状線では玉造駅から約300mとなります。大阪城からあまり遠くない場所にあり、徒歩で行くことも出来ます。
なぜこの地に信繁は陣を築いたのでしょう。徳川軍との闘いにおいて、大阪城は守備が堅固なことから豊臣の人たちは籠城論となります。その中で城への攻撃を少しでも分散させようと信繁が自ら出城を築いたのがこの地です。それは同時にこの辺りが大阪城の防備としては唯一の弱点でもあったため、一石二鳥だったのでしょう。その後、この付近一帯は真田山と呼ばれるようになりました。
大阪冬の陣で信繁は真田丸に立てこもり、圧倒的に人数が少なかったにも関わらず、対等以上の戦いをしていました。この地に真田丸を築いたことが正解だった証明です。これはまずいと考えた徳川家康は二度の和睦を持ちかけますが、信繁はいずれも断っています。
真田の抜け穴
真田の縁の地に多くみられるのが抜け穴です。三光神社にもあり真田信繁が大阪城までの地下道を掘ったということです。この抜け道は三光神社の真下を通っていると言われていますが、残念ながら後世のものです。
真田の本拠地であった群馬県の沼田城、長野県の上田城にも真田井戸があります。和歌山県の高野山の麓にある九度山は、真田親子が関ヶ原の戦いで石田三成側であったため、三成の負けにより蟄居させられた場所ですが、真田井戸が存在しています。
三光神社の抜け穴が後世のものであったとしても、しかし信繁に関係する重要な場所であることに変わりはありません。
終焉の地「安居神社」
大阪府大阪市天王寺区にある安居神社こそ、戦国最強の武将が最後となった場所ですので、真田を巡る旅では外せないのです。他にも周囲には歴史的見所が点在しています。
安居神社の祭神は少彦名神と菅原道真です。この神社の創建はよく分かっていないのですが、菅原道真が水を飲んだと言う伝説の井戸が残るくらいですから、相当古いのでしょう。
真田山の三光神社からは神社近くの大阪環状線、玉造駅から乗車し天王寺駅で下車して、徒歩で安居神社に向かうのが便利な移動方法です。
信繁の活躍もあり大阪冬の陣では徳川と豊臣は和睦という形になりました。しかしその後、当初の話と異なって大阪城の堀は全て埋められます。何よりも家康にとって一番やっかいだった真田丸は徹底して壊されました。
それから約半年後、大阪夏の陣が始まります。既に真田丸が無い信繁は、今度は城から離れた天王寺区茶臼山町にある茶臼山に陣取ることを選びました。その理由は城攻めをする家康軍に対し、横から攻撃をしかけようというものでした。
しかしながら功を焦った豊臣軍が十分な体制では無いにも関わらず徳川に攻撃を仕掛け、信繁の作戦は上手く行きませんでした。そこで信繁は徳川本陣を目指し突っ込んでいきます。そのあまりの激しさに、家康は自分の旗さえ投げ出して逃げ、二度まで死を覚悟したと記録に残されています。
ところがそもそも人数の大きな差があった両軍です。真田軍は徐々に押し返され、敗退せざるをえなくなりました。その過程で味方はさらに減っていき、安居神社まで来ます。ここで松の木に寄りかかり、敵に討たれて生涯を終えたとされています。そこは今も境内に残されており、旅をする上で見てほしい場所です。
最後に
大河ドラマの主人公である真田信繁が激しく、そして義に生きた場所が大阪にある真田山「三光神社」、そしてその生涯を終えた「安居神社」です。
その生き方はあまりにも純粋過ぎるのかも知れません。しかしながら信じるものために己を貫く姿こそ、人々が現代でも語り継ぐ本当の美しさなのではないのでしょうか。
ぜひとも二つの神社を訪れて、真田信繁の生き方に触れてみて下さい。
2016年1月8日