リレー徘徊2 西宮えびす平常参り(兵庫県西宮市)
前回、瓢箪山稲荷神社の玉垣にあった「西宮裏町・六馬樓・六馬仁兵衛」を追って西宮市へ〜六馬樓とは? 六馬仁兵衛氏とは何者で、その痕跡はあるんでしょうか? 西宮えびすさんの紹介も交えてご案内します。そして、あたらなるリレー徘徊キーワードは如何に?
Index
まず西宮市の場所を
大阪市の西、市の中心部へは、阪急神戸線西宮北口駅、阪神電鉄本線西宮駅、JR東海道線西宮駅からのアクセスが便利です。西宮と言えば「えびす宮総本社・西宮神社」が超有名です。えびす様をおまつりする神社の総本社になります。また酒蔵の街としても有名で〜大関、白鹿、日本盛等の銘柄、皆さんもご存知かと。
検索するもヒット無く
件の奉納者名のある玉垣に気付いた頃、ネット検索しても人物名のみヒット。ただし検索結果に出て来るだけで本文サイトへのリンク切れ、こんな一文でした
〜当代、満願寺住職若田等慧上人の大叔父に当る人、西宮市在の故六馬仁兵衛翁は、人情厚く、侠気強く、豪快・闇達の士で、山本の旧家金岡庄右衛門家(植松造園)の出身であり、当山の先々代若田寛猛上人とは連枝(兄弟)のなか〜
以下不明、残念!なので前回の写真を再度貼ってます。
裏町は何処だろうか?
「六馬樓」に「樓」がついているので、料亭か、花街の置屋(芸者・娼妓をかかえておく家)だろうなぁ〜思っていまして、今回の原稿を書くに当たって再度検索したところ、色々とわかりました。裏町は通称名で、市役所の南側に位置していたようです。現在は、当時の区割りの路地が若干の凝っている程度で何もありません。
「六馬樓」は昭和初期の「西宮貸座敷組合」の一覧に「第一六馬樓」「第二六馬樓」という名称で掲載されていました。他の資料を見ると圓福寺(与古道町)の西側にあったようです。当時の写真をネットで見つけたのでアップしておきます。当時、県下では神戸につぐ賑わいのあった花街だそうです。
赤門
何も残っていない花街跡前を東西に走っている道、これは旧西国街道(旧国道2号線)で、真っすぐ西へ行くと西宮えびすさんの赤門に突き当たります。さて、皆さん、十日えびすをご存じですか?「商売繁盛で笹持って来い」の掛け声で有名なあのお祭です。関西では、これが終わらないと正月気分が抜けませんね。
9日を「宵えびす」、当日を「本えびす」、11日を「残り福」と呼ばれ三日間で約100万人の参拝があるとか。この赤門、よく全国ニュースでも登場する「開門神事福男選び」で猛ダッシュのスタート地点なんですね。
西宮神社
十日えびす時には阪神西宮駅からお参りする本殿まで最髙約2時間、普段ならたった10分なんですが。赤門をくぐって参道を右に折れると本殿が見えて来ます。参拝を終えたら社務横の「えびす信仰資料展示室」に立ち寄られてはいかがでしょうか?
えびすさんに関わるコレクションが中々面白いです。境内の摂社を見て回るのもよいですよ。
おやつタイム
境内に休憩のできる茶店はありますが、神社の東側、馬場町にある小松商店の「西宮名物えびす焼」がおすすめです。黒あん、白あんがあり、店内で食べることもでき、テイクアウトも可能です。塩が隠し味の餡子、ほくほくの外生地、あつあつを食べるとほんと旨いです!!
小さな赤い鳥居奥にある染殿池
阪神電鉄の高架に沿って東に歩くと松原天満宮があります。天満宮の前に朱赤の小さな鳥居のお稲荷さんがありますが、入口ヨコに大きな石碑「史蹟・漢織呉織松・染殿池」、きっと素晴らしい史蹟なんだろうと奥に行くと、あららって思える小さな水たまりが?
史蹟とは、
1)歴史に残る事件に関係のあった場所・建物や遺構。
2)文化財保護法で、貝塚・古墳・都城跡・旧宅その他の遺跡で我が国にとって歴史上・学術上価値が高く、重要なものとして文部科学大臣が指定したもの…
だそうですが、説明盤を読むと、大和朝廷が呉から招いた二人の縫工女、はるかな故郷をしのんだとか。って、この伝承だけで大臣が指定した歴史的な史蹟ですか? その二人の名前に関連する神社が池田市(大阪府)にあるとか。次回は池田市へ行ってみますね。
2016年1月21日